歴史の浪漫街道 祭りだ!神輿だ!祭り神輿。 湯島天神の梅まつりで担がれる神輿巡行は8回目の早春行事
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 祭り神輿


    湯島天満宮 天神梅まつり神輿  平成22年2月(毎年)

湯島天神本殿前の神輿揉み。'10.02.28.
梅の香りに導かれて宮入ご挨拶の本殿前での気迫の神輿揉み 神輿は町会神輿の「天一」か

湯島天神梅まつり大判POP。'10.02.28. 梅色のピンクに染めた幟。'10.02.28. 枝垂れ梅は咲き始め。'10.02.28.
湯島天神の第53回梅まつり 白梅商店街に掲げられた幟 天満宮本殿脇の梅

第53回湯島天神梅まつり。2月8日(月曜)〜3月8日(月曜) 文京区湯島3−30
神輿巡行は2月28日(日曜) 湯島天満宮祭礼連合会青年部が取り仕切る。
第8回になる巡行は町会神輿持ち回りで神輿を担ぐ。13:00湯島中坂上出発して三組坂上で折り返し 15:00本殿参拝宮入。 北回廊の特設奉納舞台前15:30。
湯島天神白梅太鼓保存会が神輿宮入に合わせて特設奉納舞台で奉納です。
 

出立つ式典時には薄明かり射す。'10.02.28. 祭神のご加護か晴れだす。'10.02.28. あっという間に三組坂上。'10.02.28.
湯島中坂上の梅香殿前より出立 巡行開始と同時に霧雨から晴れに 折り返しの三組坂上はもう真近

三組坂上から女性陣が担ぐ。'10.02.28. 春日通り鳥居で折り返し。'10.02.28. 銅鳥居目指し最終巡行。'10.02.28.
折り返し三組坂上からは女性陣 春日通り鳥居から威勢よく折り返し 唐門前から銅鳥居目指し巡行

本殿目指し屋台並ぶ参道に入り込む。'10.02.28. 差し上げに指揮者はまだまだと神輿揉み。'10.02.28.
銅鳥居から屋台並ぶ参道掻き分けて本殿目指す 差し上げコールに指揮者は溜め

担ぎ手は学問の神様らしく梅鉢紋の白い半纏に股引き(半タコ)、白足袋に統一です。
湯島天神は江戸時代より「梅の名所」として多くの庶民に親しまれて、 昭和33年に開催された梅まつりも、今回で53回を迎える。 毎年回を重ねるたびに盛大さを増し、2/8〜3/8の期間中延べ45万人の賑わいとか。 初春の東京年中行事として、今では全国の風物詩となって定着している。 本数は約300本(8割が白梅) 樹齢 約70年〜80年の木が中心。
 

さすが学業の神様、学業成就・合格祈願の絵馬が多いこと。
湯島天満宮は雄略天皇の御宇二年(458年) 勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を祀る。 正平十年(1355)に郷民が道真の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀した。 以降の御祭神は学問の神様菅原道真。
湯島天神はその後太田道灌や徳川家康の庇護を受ける。
  東回廊側の奉納絵馬。'10.02.28.
本殿北側両側には多くの絵馬が

湯島天満宮の天満宮と天神は
天満宮、天神、どちらも「天神信仰」で、天神さまといいます。 もともとは天の神という意味の天神(てんしん・あまつかみ)で、 天満天神(道真)を祀る神社なので、天満天神宮や天満天神社となります。 これを略して、天満宮、天神宮、天神社と称します。
「天神信仰」は もとは火雷天神の天神様でした。右大臣の道真が左大臣の藤原時平らに九州大宰府に左遷されてしまい、 冤罪を被り悔し涙の失意のうちに死去したその怨念が火雷天神と結びついた怨霊の神様の雷神信仰です。 道真の祟りを鎮めようと、朝廷は京の北野にまた大宰府に道真を祀る天満宮を建立した。 平安時代末期には怨念の部分が薄れ学者の道真が残り、 今では天神・天満宮が学問の神様となりました。
 


yahoo!japan 登録サイトのHPです。