歴史の浪漫街道 祭りだ!神輿だ!祭り神輿。 大黒・恵比寿の神が神輿を先導する出雲大社相模分祠の福迎祭
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 祭り神輿


    秦野出雲大社相模分祠 平成23年福迎祭 正月3日(毎年定日)
              H26年度より渡御中止


新年祝う二重亀甲剣花角神紋の神輿。'11.01.03.
出雲大社相模分祠拝殿の大注連縄に見送られて二重亀甲剣花角神紋神輿の宮出し

出雲大社相模分祠の鳥居。'11.01.03. 拝殿前に鎮座する宮神輿。'11.01.03.   出雲大社相模分祠の福迎祭。
毎年 正月3日(定日)13時半式典
大黒・恵比寿の親子両神が神輿とともに境内を練り歩き、 参拝者に「福分け」をする、相模分祠最大の祭りです。 大社への順路が複雑で秦野駅より無料送迎バスの利用がお勧めです。  秦野市平沢1221。
参道に悠然と立つ鳥居 拝殿前に巡行のため鎮座する神輿

出雲大社相模分祠は、明治21年(1888)に、島根県鎮座の「出雲大社」の大神の分霊をこの地相模に祀り、 当初の鎮座地は現社地から約4キロ離れた渋沢峠であったが、昭和50年(1975)に現社地に遷座する。
祭神は 大国主大神(オオクニヌシノオオカミ=大黒天)と妻の神屋楯比売(カムヤタテヒメ) との間で生まれた 事代主大神(コトシロヌシノオオカミ=恵比寿)
 

境内狭しと蛇行させながらの担出し。'11.01.03. 参拝者掻き分けて鳥居へ。'11.01.03. 参道でのドッコイ担ぎ。'11.01.03.
拝殿前を左 右と蛇行させて出立 境内を掻き分けるように鳥居へ 参道に出て激しいドッコイ担ぎ

大黒と恵比寿が福分けながら先導。'11.01.03. 二天棒の担ぎ手の配置悪く御嶽神社前から傾き。'11.01.03. 大社入口からの折り返し。'11.01.03.
大黒天と恵比寿が福分けで先導 二天棒ゆえ御嶽神社前から傾き 出雲大社入口交差点から折り返し

13時半から式典が行われ、御魂入れ終えた神輿を南青連が44団体の応援を得て、 大黒天と恵比寿が福分けしながらの神輿発御です。
神輿巡行中に境内では伊勢ヶ濱親方をはじめ、日馬富士関、安美錦、安壮富士、 宝富士が参拝者に恒例の「餅まき」が14時半と15時半に行われた。
大社は平沢集落内にあり分かりずらい。 正月3ヶ日は秦野駅より神社近く畑中まで30分毎の無料送迎バスがお勧めです。  運行時間は 9:15〜16:15 まで。
 

湘南独特のドッコイ担ぎの箪笥金具が付いている。分厚い台座は3尺(91CM)です。
御魂入れが行われた胴の四方は榊で包まれ、晴れやかで厳粛で清々しい。
  分厚い台座は3尺。'11.01.03. 胴は清楚に榊で囲まれる。'11.01.03.
箪笥金具と前後に神紋が付く 鳥居の額束(がくづか)は出雲大社

境内祖霊社。'11.01.03. 相模分祠拝殿の大注連縄。'11.01.03.   出雲大社の大注連縄は長さ13m、太さ8m、重量5トン。日本一です。
相模分祠のしめ縄も負けずに大きくて独特。 普通神社はしめ始めは右からですが、 大社は唯一逆行して、向って左側から綯い始め右側で終わる。 理由は大国主神を封じ込めた大社であるためとか。定かでないが。
相模分祠境内祖霊社の注連縄 相模分祠拝殿の大注連縄

秦野(はだの)の由来:  古墳時代にこの地を開拓した人々の集団「秦氏」 (養蚕・機織りの技術にすぐれた渡来人の子孫の集団)の名に由来しているという説。
平安時代に書かれた「倭名鈔」には秦野の古名は「幡多」だったと記載されています。
承平の乱(935)をおこした平将門は、藤原秀郷によって倒されました。 その子孫・藤原経範が秦野盆地の原野を開墾土着し、この経範は波多野氏を名のった。等々ある。
 

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