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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! 祭り神輿 |
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浅草神社堂上堂下げと浅草寺本尊示現会 平成26年3月(毎年) |
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浅草神社奉賛会のみの担ぎ手で浅草寺本堂外陣から堂下げされる一之宮神輿 |
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宝蔵門潜る宮神輿先導の浅草神社の棟梁達 |
堂上げ堂下げ |
松下電器産業奉納の雷門大提灯 |
'14.03.18.(火曜日) 堂下げ 9時30分から (堂上げは前日の17日19時から)
10時から宮神輿三基の移御行列発進 11時30分 宝蔵門〜神社庭祭礼渡御
浅草寺本尊示現会 金龍の舞 境内で11時から 東京都台東区浅草2-3 |
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祝詞奏上と読経終え宮神輿三基の大御幣が退場 |
大御幣に続き擬宝珠鳳凰の一之宮の堂下げ担ぎ出し |
平成12年より古式にのっとり、浅草神社神輿の浅草寺本堂奉安が再興された。
夜儀として「堂上げ」が行われ、
本堂外陣に一夜お籠もりされた宮神輿三基は、翌日の法要後「堂下げ」され、行列にて本堂周辺を練り歩き、浅草神社へ戻る。 |
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本堂外陣から一之宮神輿が落下防止ロープを緩めろの指図で慎重に堂下げ担ぎ出し |
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続いて後方横棒に取り付けたロープを緩めながら二之宮神輿がゆっくりと階段を降りてくる |
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後方で滑車のロープ緩めが違っており調整中は差したまま我慢する三之宮の堂下げ |
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堂下げ後台車の四隅に忌竹を立て出発を待つ一之宮 |
移御行列発進のため浅草寺本殿脇へ三基集結 |
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移御行列終えた一之宮が御幣に先導され宝蔵門から浅草寺へ帰還 |
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突風のなか二之宮と三之宮が連なって宝蔵門を潜り浅草寺本堂前へ |
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「暫」の9代目市川団十郎が庭祭礼渡御を出迎える |
浅草寺本堂東側を庭祭礼渡御で殿勤める三之宮 |
浅草寺境内に建つ暫(しばらく)の像とは、歌舞伎の演目で歌舞伎十八番の一つで、時代物・荒事の代表的な演目で、
清原武衡が成田五郎ら家来に命じて、加茂次郎義綱らを打ち首にしようとするとき、
鎌倉権五郎景政(史実の平安時代後期の武将)が「暫く〜」の一声で、さっそうと現われて助ける。
元禄10年(1697)、江戸中村座で「参会名護屋」の中の一場面として初代市川團十郎が初演する。 |
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宝蔵門からの庭祭礼渡御を終えて神霊返しの儀のため二天門脇の浅草神社参道鳥居前へ |
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浅草組合花組のお囃子にのり浅草寺縁起に基づき奉演される浅草寺金龍の舞 |
浅草寺本尊示現会は推古天皇36年(628)に浅草寺の本尊の観音が、隅田川より示現された浅草寺開創を祝う聖日であり、
社伝の「浅草寺縁起」に基づいた行事で「金龍の舞」が奉演される。 |
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天より舞い降りる金龍(きんりゅう)の舞 |
蓮華珠(=観音さま)を守護する18mの金龍 |
金龍の舞は昭和33年(1958)、本堂再建を記念して創始奉納された。
浅草寺の山号「金龍山」から名を付け、浅草寺縁起に、観音示現の時に天空から金龍が舞い降り、
一夜にして千株の松林ができた(=五穀豊穣)とあり創作された。 |
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鱗の枚数8,888枚・重さ約80キロを上下左右に8名が操作する勇壮華麗な金龍の舞 |
明治政府の神仏分離令で、浅草寺の管理であった三社権現社 (浅草神社)は
宗教上の分離がなされたが、浅草寺僧侶らによる読経と浅草神社宮司による
祝詞奏上が執り行われ、仏事と神事を同時に行うこの行事は全国的にも希であり、
神仏分離以前の「観音祭」とも呼ばれていた三社祭を一部再現している。 |
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