歴史の 浪漫街道  この銅製坐像地蔵はお江戸の街道入口六箇所に鎮座して旅人の安全を願っていたのです。
無名の民達の歴史的遺産 



銅造地蔵菩薩 坐像


江戸時代の前期に深川の地蔵坊正元(しょうげん)が発願し銅造製作は神田鍋町の鋳物師太田駿河守正儀。
江戸の出入り口六ヶ所に造立され「江戸六地蔵」と称されています。共に東京都の有形文化財に指定。
品川区品川寺・台東区東禅寺・新宿区太宗寺・豊島区真性寺・江東区霊厳寺の一番目から五番目までと
六番目の江東区永代寺ですが永代寺の享保5年(1720)造立の坐像地蔵は残念ながら現存していません。
各像の衲衣部や蓮弁と石基などに刻まれた寄進者名は72千名以上で民達の熱き地蔵菩薩信仰がうかがえる。



江戸六地蔵4番の巣鴨真性寺の地蔵菩薩坐像。正徳4年(1714)造立。巣鴨のとげぬき地蔵が有名ですがその 高岩寺より南側にあるこの坐像地蔵もたえる事なく香が立ち昇り民の信仰も厚いのです。 大正12年の大震災で破損したが修理されている。豊島区巣鴨3−21.
*中仙道=中仙道。
 


品川寺の坐像地蔵。05.12.13. 江戸六地蔵一番の品川寺の地蔵菩薩坐像。宝永5年(1708)造立。 境内には都内有数の大イチョウがある。品川区南品川3−5。
*東海道=東海道。
浅草東禅寺の坐像地蔵。06.02.09. 江戸六地蔵二番の東禅寺の地蔵菩薩坐像。宝永7年(1710)造立。 長年の風雨により損傷が著しく平成11年に修復工事が施されている。台東区東浅草2−12。
*奥道=奥州街道。


江戸六地蔵三番の太宗寺の地蔵菩薩坐像。正徳2年(1712)造立。 太宗寺は信州高遠藩主内藤家の菩提寺として発展してきたのです。内藤新宿の由来です。新宿区新宿2−9。
*甲州道=甲州街道。
新宿太宗寺の坐像地蔵。06.02.09. 昭和12年(1937)の太宗寺三日月不動明王の奉納板には落語の馬風・小三治・金馬・馬楽・小さん 園生・小勝等の名が連ねられた龍の浮き彫り額が架かっている。 太宗寺三日月不動明王奉納版。06.02.09.


深川霊厳寺坐像。06.02.09. 深川霊厳寺の坐像地蔵。06.02.09. 江戸六地蔵五番の霊厳寺の地蔵菩薩坐像。享保2年(1717)造立。 境内には寛政の改革を断行した老中松平定信の墓がある。東京都江東区白川1−3。
*水戸道=水戸街道。


江戸六地蔵六番の現存していない永代寺は*下総道=千葉街道。


分間江戸大絵図(版元須原屋茂兵衛・文化8年-1811・文政10年・弘化3年)に明記記載されている街道は

街道(道中) 起点・分岐宿・終点 宿場数
東海道=東海道 江戸日本橋〜品川宿〜草津宿〜京三条大橋 53宿(126里)
甲州道=甲州街道 江戸日本橋〜高井戸宿〜下諏訪(中仙道に合流) 38宿
中仙道=中仙道 江戸日本橋〜板橋宿〜下諏訪〜草津宿(東海道に合流) 69宿(129里)
奥道=奥州街道 江戸日本橋〜千住宿〜宇都宮宿〜陸奥白川宿 27宿
水戸道=水戸街道 江戸日本橋〜千住宿〜水戸 19宿
下総道=千葉街道 江戸日本橋〜両国橋〜下総
川越道=川越街道 江戸日本橋〜練馬宿〜板橋宿〜川越城大手門 6宿
岩附道=日光街道 江戸日本橋〜川口渡し〜千住宿〜宇都宮宿〜日光防中 21宿(36里)
相州大山近道=厚木街道 江戸日本橋〜長津田〜伊勢原〜大山阿夫利神社




浄名院の江戸六地蔵新六番地蔵菩薩坐像。 深川永代寺に鎮座していた第六番の地蔵菩薩坐像は明治維新時に廃寺となり地蔵信仰の寺であった 浄名院に由緒ある江戸六地蔵を復活させようと明治39年(1906)江戸六地蔵より一回り小振りであるが 新たに建立されたものである。台東区上野桜木2丁目6番。  

浄名院八万四千体地蔵。  浄名院は寛文6年(1666)の創建。大阪生まれの妙運和尚が明治9年(1876) 一千対のの石造地蔵菩薩像建立の発願をたて以降多数の民達が加わり八万四千の地蔵群となった。 写真は坐像地蔵の背後にずらりと並ぶ地蔵達の一部ですが 境内に立てば圧倒される見事な地蔵群です。  



hasu-4-.jpg(2824 byte) 青銅鋳造大仏坐像 hasu-4-.jpg(2824 byte)



鎌倉長谷高徳院の大仏は奈良東大寺大仏と双璧をなす。僧浄光が木造の大仏を寛元元年(1243)造立したが 後に青銅の鋳造を建長4年(1252)に鋳工大野五郎右衛門により完成させたが原型の作者は不明である。
台座含む総高は13.3M重量121T。台風により今は無き大仏殿は発掘調査の結果東大寺よりも大きく 高さ40M奥行き42M幅44Mと推定されている。




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