歴史の 浪漫街道  孤高の時計塔 からくり時計 京都伏見のゆかりの人形が勢揃いの愛称は「おやかまっさん」
孤高の時計塔


からくり時計塔 


    伏見大手筋商店街 「おやかまっさん」

伏見大手筋商店街のからくり時計。09.08.12.   「おやかまっさん」のからくり時計。
京都伏見大手筋商店街の近畿労働金庫伏見支店のからくり時計です。
毎日午後1時から午後7時までの正時に扉が開き、伏見ゆかりキャラクターが勢揃いします。 扉には宇治川派流(運河)の酒蔵が描かれている。
京都市伏見区銀座町1丁目362。
伏見ゆかりの全キャラクターの勢揃い

「おやかまっさん」のからくり時計は、時間がくると、音楽が鳴って扉が開き、 安土桃山時代の千利休が出てお茶を頂き、その後伏見ゆかりキャラクターが勢揃いし、 「饅頭食い」「千利休」「牛若丸」「森の石松」「豊臣秀吉」「伏見城」「千姫」「花笠行列」 「坂本竜馬」「新撰組」「酒造り」が順次現れる。
伏見人形の饅頭食い: 父母のどちらが好きかと問われた際、 童子が饅頭を二つに割ってどちらが美味しいか反問したという教訓話による伏見稲荷の土産。
 

からくり時計の扉開く。09.08.12. 伏見の樽酒が並ぶ。09.08.12. 千利休が茶を飲む。09.08.12.
正時に伏見の酒蔵の屏風が開く 伏見酒蔵の樽酒が勢揃い 千利休がお茶を飲みだす

樽酒反転して人形に変わる。09.08.12. 伏見ゆかりのキャラクター。09.08.12. 次から次えとキャラクター。09.08.12.
順次反転して人形が現れる 五条大橋の牛若丸と森の石松 豊臣秀吉と伏見城と千姫

「おやかまっさん」 とは京言葉 「お喧(やかま)し様」 と京言葉独特の文末語「〜どした」 という言葉が訛ったもので、 隣近所でお喋りなどをして帰るときの挨拶言葉で 「えらい騒いで、お邪魔しました」 の意味です。
豊臣秀吉が文禄3年(1594)に伏見城を築きますが、その時、伏見城の大手門から少し曲がって西の方に道路をつくったのが、 今の大手筋通りでした。伏見大手筋商店街は、東西400m余で道路幅は7〜8mの商店街で、平成9年(1997)には がんばっている商店街として「元気のある商店街100」に選ばれている。
また伏見は銀座発祥の地でもあるのです。慶長六年(1601)に徳川家康が伏見に日本初の銀座を開き、 大黒常是(銀吹人・銀貨鋳造師)が通用銀の鋳造を開始。当時周辺には両替商が軒を連ねていたとか。 大手筋商店街には銀座発祥の地の石碑がある。
 

黄桜の醸造所。09.08.12. 月桂冠の白壁。09.08.12. 月桂冠の酒蔵。09.08.12.
煉瓦煙突の黄桜清酒醸造所 月桂冠(旧大蔵酒造)の白壁 白壁の酒蔵が連なる

伏見の酒造り。
秀吉が築城祝いに訪れた客に振るまったことから有名になった伏見の酒。
文禄3年(1594)、伏見城の造営とともに水の豊かさを背景に酒造業が興隆しはじめ、その後も宿場町、港町の酒として発展し、 明暦3年(1657)には酒造家83軒、造石量1万5千611石と国内有数の酒どころになった。
明治44年(1911)、第一回全国新酒鑑賞会では伏見酒が第一位に選ばれ、以後名酒として全国的に知られるところとなる。 その発展を支えたのは伏見の良質の名水「伏水」と近畿一円に産する上質米、そして寒冷な気候だったのです。
鳥羽・伏見の戦いで伏見の酒蔵のほとんど消失し大打撃を受けたが、伏見酒造組合には現在24の蔵元が加盟して、 生産量は兵庫灘につぎ二位である。
 

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