歴史の浪漫街道 イチョウの名木達  江戸時代の高遠藩内藤家の広大な敷地の一部が新宿御苑のルーツです
古木名木達の歴史的遺産


イチョウの名木達 ・ 都内


  ityou-8-.jpg(1207 byte)   新宿御苑大銀杏 '12

丸花壇脇の三本の大銀杏。'12.11.22.
淡い日差しを受けて丸花壇前の三本の大銀杏が黄色に輝く

新宿御苑は徳川家康が江戸城に入城した際、 後の甲州街道や青梅街道になる江戸から西にのびる街道と、鎌倉街道が交差する要所であったことから、 この一帯の警護など軍事的な目的で小姓時代から家康が信頼する譜代の家臣の内藤清成に、 授けた広大な江戸屋敷の一部が御苑となった。 撮影 '12.11.22.  

枝が地表を覆い隠す。'12.11.22. 四方に枝伸ばす大銀杏。'12.11.22.
幹から大きく広げた枝が地表を覆う 丸花壇から望む大銀杏のこの美形

新宿御苑園内温室前の三本の大イチョウは樹高が25メートルで、 幹周りが3.9mと3.7mと3.5mで全てが雄株の大イチョウです。 幹周りのサイズや樹皮から推定すると、内藤家の江戸屋敷時代でなく明治初期の植栽と思われる。  

幹を真直ぐ伸ばす大銀杏。'12.11.22. ゆったりと揺れる枝。'12.11.22.
大地に力強く根を張る銀杏の大幹 四方に枝を大きく広げ人々を包み込む

広大な敷地は明治に入り農事試験場を経て、明治39年(1906)に皇室の庭園となり、 戦後昭和24年(1949)に国民公園として一般に公開された。 広さは約18万坪で、フランス式整形庭園やイギリス風景式庭園、 そして日本庭園が巧みにデザインされ明治を代表する近代西洋庭園といわれている。  

四方に枝伸ばす大銀杏。'12.11.22.
四方に枝を地表すれすれに伸ばす樹形が観る者の心を和ませる大銀杏

入園者も芝生に座り銀杏愛でむ。'12.11.22. 元内藤家庭園の玉川園入口。'12.11.22.
淡い晩秋の日差し受ける芝生広場の銀杏 まるで深山幽谷の様な狭い玉藻池入口の銀杏

内藤新宿: 、江戸時代に設けられた宿場の一つ。 慶長9年(1604)、江戸幕府により日本橋が五街道の起点として定められ、 各街道で1里(約4km)ごとに一里塚を設けたほか、街道沿いに宿場が整備されていった。 甲州街道の内藤新宿は江戸日本橋から数えて最初の宿場であり、 宿場内の新宿追分から甲州街道と分岐している成木街道(青梅街道)の起点でもあった。 現在の東京都新宿区新宿一丁目から二丁目・三丁目の一帯にあたる。 東海道の品川宿・中山道の板橋宿・日光街道(奥州街道)の千住宿と並んで、江戸四宿と呼ばれた。  

yahoo!japan 登録サイトのHPです。

  「新宿御苑大銀杏'08」にリンク。 「イチョウの名木達」トップページにリンク。