天守台は、石垣天端で約55m×48mという城郭史上最大の天守台であった。五重七層の勇壮華麗な天守が存在した。
三重の堀を持つ輪郭式の典型的な城。本丸を中心に二の丸・三の丸となる。
江戸に向かう東海道からの駿府城眺めは、
天守と富士山が並列し美しく大御所の権威を示す城であった。三重の堀を持ち、五層七階の天守がそびえる大城郭であった。
大御所時代、駿府は江戸を凌ぐ政治・経済・文化の中心としてその黄金時代を迎えた。
江戸の将軍に対して大御所として実権を掌握し続けて二元政治をとりつつ、豊臣氏の処置に精魂を注ぎ、
慶長19年(1614)には方広寺鐘銘事件をきっかけに開戦し、同年の大坂冬の陣、翌年の大坂夏の陣で大坂城を攻め豊臣氏を滅ぼし、
徳川政権による日本全域の支配を実現した。元和2年(1616)駿府城にて75歳の生涯を閉じる。
辞世の句として 「嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」 を詠んだ。 |
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