歴史の 浪漫街道  時代を反映させた宣伝物も時を経て忘れられていくが、そのとき看板は有効な広告媒体。
無名の民達の歴史的遺産 



懐かしき看板店舗


目黒の看板で覆った店舗。09.03.29.
目黒の居酒屋蔵処「立乃」   時代を後世に残す店舗

目黒の居酒屋蔵処「立乃」
壁一面にびっしりと懐かしのホーロー看板で覆われている居酒屋です。 居酒屋の営業は週末の金曜・土曜のみで、知る人ぞ知る常連客で賑わっています。 想像できませんがこの飾り付けのお店が、平日のお昼は人気のお弁当屋さんなのです。 目黒行人坂と目黒雅叙園と太鼓橋を過ぎた角の目黒区下目黒2。
 

昭和時代の看板。09.03.29. 全てが看板に見えます。09.03.29. 現代のメニューが遠慮がちに。09.03.29.
国鉄から「元気はつらつ」そして公衆電話 何処が出入り口でしょうか判りません 縦琺瑯看板達で「二階へどうぞ」は影薄い

琺瑯看板: 金属の素地、おもに鉄器などにうわ薬を塗って焼き、ガラス質に変えて、 これで表面を覆ったもの。 防錆、装飾などを目的とする。うわぐすりの成分は珪石、長石、硼砂、 粘土、蛍石、酸化錫、炭酸ナトリュウムなど。装飾品では七宝(しっぽう)焼きがある。
=琺瑯引。瀬戸引。エナメル引。
 



路地中の看板店舗。05.05.25. 路地狭すぎてやっと二階の看板写す。05.05.25.   浅草花川の下町のカルビ屋本舗
右書きの看板があります。 「ゆ」鹸石 乳牛 です。
貴重な戦前の看板です。 写真拡大してご覧下さい。右横書き発見できますよ。
東京都台東区花川戸1-8-13。

右横書と戦後の左横書:
本来、日本語と言うのは横書きではなく、右縦書きで書いていたものです。
それが明治の文明開化によって、横書きが導入されたのです。 縦書きの場合、右の行から左の行に書くのが普通なので、横書きの場合も当初、 それに倣った右横書としたようです。 第2次世界大戦(太平洋戦争)が終わり、民主化の過程で、日本語の横書きの書き方も欧米と同じ、 右横書から左横書へと変わったようです。
 




南千住の酒類問屋の潟^カハシ栄春の店頭看板。
麦酒メーカー各社や酒造メーカーの統一された看板が掲げられているが、 各メーカーは個性や自己主張するために同一規格では作らないはずです。 この掲げられた店頭看板は販売店側独自の製作と思われる。
東京都荒川区南千住6-64-16。
 


「看板」という文字は、安土桃山時代の後期からといわれる。 それ以前は「鑑板」「簡板」という文字が用いられているとか。 どれにも「板」の文字があり、看板とは「板に文字を書いて看せる」という意味がある。 現代の巷に溢れるようなイルミネーションやネオン看板ではなく、 分厚い板を彫り込んだ古いものが趣があっていい。布地の「のれん」もいいですね。 行灯型や提灯もあります。 杉の葉で作った丸い「酒ばやし」も看板なのです。琺瑯看板は何故か若き日への郷愁を覚える。
たかが看板。されどその看板が現代では広告・消費文化論にまで発展しています。
 



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