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無名の民達の歴史的遺産 |
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懐かしき看板ポスター・昭和後期の昭和浪漫 |
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キンチョウ(大日本除虫菊梶jの琺瑯看板。明治18年(1885)大阪西区土佐堀にて創業。
明治43年(1910)に「金鳥」を商標登録される。左側はエアゾール式液体殺虫剤の製造販売の
開始された昭和27年(1952)以降の看板。右側はキンチョールの「ン」が小さくなった
昭和43年(1968)以降の琺瑯看板です。
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キンチョールの琺瑯看板ですがじっくり観察すれば青色塗料が雨降りのように文字の上にのっている。
琺瑯看板作成時の塗料印刷ミスなのでしょうか。それにしてもハエの図柄は悪魔のようで迫力満点です。
昭和43年(1968)以降の琺瑯看板。 青梅市住江町商店街。 |
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昭和42年(1967)マイカー族の流行語が現われ、ブルーバード1300ccが560,000円でした。
黄桜の日本髪着物姿が良く似合う三浦布美子。昭和43年(1968)の黄桜の女優ポスターの初代です。
写真を拡大してご覧下さい。なんと艶やか妖艶なことでしょうか。まるで元禄時代を彷彿とさせます。
三浦布美子は元京都祇園の芸子、浅草の芸妓上がりと
いわれているが編集者は知識不足で細かな情報を記載できませんが、ただ艶やか!!
イメージ女優の初代三浦布美子以来多くの女優が競い黄桜のポスターは現在、高島礼子ですが皆和服が似合う。
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昭和43年(1968)スポーティーなカローラスプリンター1100ccは587,000円でした。
昭和43年(1968)東京府中で3億円事件。昭和44年(1969)アポロ11号が月面着陸。
昭和43年(1968)の大卒初任給は30,500円でした。
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昭和44年(1969)8月「男はつらいよ」シリーズ第一作。
渥美清の紛れもない代表シリーズ作品なのです。名セリフ「私、生れも育ちも、葛飾柴又です。
帝釈天で産湯使いました根っからの江戸っ子。姓名の儀は車寅次郎。人呼んでフーテンの寅と発します」
カット写真は昭和46年第8作品と昭和48年第11作品。
松竹映画、山田洋次監督、さくら役の倍賞千恵子との
名コンビが平成7年(1995)まで48作品を世に送り出す。
右側のポスターは最後の作品の競演者浅丘ルリ子。共に柴又帝釈天門前町。
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関連事項の掲載ページ
復刻版邦画看板フーテンの寅
昭和44年(1969)大卒初任給は37,000円でした。
アース製薬の昭和45年(1970)の琺瑯看板。
左の水原弘は昭和39年(1964)に「黒いはなびら」で第一回レコード大賞を受賞した。
渋い低音とニヒルなマスクで女性に大人気でした。
右側の由美かおるは昭和40年(1965)11PMに出てキュウトとセクシィーで男性に大人気。
現在も40年前とサイズが同じで(どうして!)20年間にわたり水戸黄門のレギュラーで活躍している。 |
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アース製薬は明治25年(1892)の創業。
「アース渦巻」は昭和15年からの販売「ハイアース」は昭和45年から販売。
アース製薬は昭和45年(1970)に大塚グループの一員となる。
以降「大塚グループ・アース製薬」と表示される。 |
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昭和45年(1970)の大卒初任給は40,000円でした。
Expo`70日本万国大阪博覧会開催。三島由紀夫が市ヶ谷自衛隊に乱入し割腹自殺。
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左側の2枚は昭和45年(1970)の居酒屋のメニュー。
トレッカのコーンチップは昭和45年より販売したのが
昭和44年に東京で設立された丸仁グループで
「トレッカのポテトチップス」で知られていた会社でした。
なぜか居酒屋のラジオから流れてくるのは人生の哀愁を響かせた「今日でお別れ」「圭子の夢は夜ひらく」
「女のブルース」「命あげます」ばかりが流れていました。
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昭和48年までの「金鳥の夏、日本の夏」がうたい文句の金鳥看板。
金鳥かとりせんこうは明治23年(1890)棒状のものが、明治35年(1902)渦巻型が発売されています。
殺虫液キンチョールは、昭和9年(1934)4月発売。エアゾールタイプは昭和27年(1952)の発売です。
昭和42年('67):かとりせんこうCMに美空ひばりさん金鳥の夏、日本の夏で登場(昭和48年まで)
昭和53年('78):かとりせんこうCMに小柳ルミ子さん登場(昭和62年まで) でした。
青梅御嶽松葉バス停前。
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キンチョールと金鳥の2枚組看板。金鳥の渦巻き蚊取り線香は3本の煙が立っているが
「かとりせんこう」の文字は無い。滝山街道沿いあきる野市牛沼。 |
昭和49年(1974)の大卒初任給は60,000円でした。
この年のガソリン価格は1リットル@98円。高かったのですね。巨人長嶋茂雄が現役引退。
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昭和51年(1976)の大塚製薬のオロナミンCの看板。
一枚の看板に「おいしいですよ!」と「元気ハツラツ!」の
裏表両面に作成された店頭看板。ともに○51Kの表示がある。
陣馬街道沿いの、のどかな多摩バス停力石(ちからいし)前の
「中村屋酒店」倉庫内に保存されている看板ですが
夜な夜な不届き者が店頭看板を剥ぎ取る被害にあいやむなく避難させているとのことです。
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大村昆直筆のイラストとサイン入りのオロナミンCの非常に珍しい琺瑯看板です。
大塚製薬のオロナミンCの琺瑯看板数多くありますが油性マジックのサイン入りは珍品でしょう。
写真下部は残念ながら欠けましたが黄色ポロシャツにスクリューキャップで昭和51年でしょう。
青梅市にて。 |
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昭和51年の琺瑯看板。奥多摩日原村にてゲットした保存状態がよい○51K表示です。
撮影・05.10.13. |
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昭和51年(1976)の大卒初任給は94,000円でした。
ロッキード事件で田中角栄元首相逮捕される。
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サッポロワインポレールの昭和51年の看板。
サッポロビール創業100周年記念で山梨県勝沼町に勝沼ワイナリーを竣工しワインを造る。
ポレールはフランス語で北極星を意味しサッポロビールの星印に由来する。 |
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松竹映画。幸せの黄色いハンカチ。昭和52年(1977)の作品。
役務を終え出所した高倉健。妻倍賞千恵子は夕張の丘の上で
風にはためく何十枚もの黄色いハンカチをロープにくくり付け
待ち続ける・感動、眼が潤みました。
山田洋次監督。監督と名コンビの渥美清も参加している。 |
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昭和52年(1977)の大卒初任給は100,300円でした。
王貞治756本のホームラン世界記録樹立。沢田健二「勝手にしやがれ」
清水健太郎「失恋レストラン」。
懐かしきコカコーラの看板たち。何時ごろか定かでは無いが青春のころ気付けば何時も傍にあったコーラでした。
京王井の頭線池之上商店街と渋谷道玄坂商店街でゲットしたコカコーラの看板達。青春を思い出しシャッター切る。
懐かしき看板やポスターたち、甦る青春時代です。
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