歴史の浪漫街道 魅惑の歴史紀行  愉快な仲間達とのハイキング今回は八王子城跡と桜の多摩森林科学園。
魅惑の歴史紀行 ハイキング


浪漫街道を行く ハイキングサークル


大自然に親しみ山野を歩く。てくてく歩く、仲良く愉快に歩く徒歩旅行です。
我がハイキングサークルは愉快な仲間達と楽しみながらシニアライフを謳歌するハイカー達です。


    第9回 八王子城跡と多摩森林科学園 08.04.12.

深い城山川に架けられた御主殿へ渡る曳橋。08.04.12. 御主殿側も急斜面だが可憐なスミレが咲く。08.04.12.   北条氏照が築城した八王子城が天正18年(1590) 6月23日前田利家・上杉景勝軍の多勢に無勢で防ぎきれず一日にして落城した八王子城跡へのハイクです。 落城後は徳川家の直轄領であり明治以降は国有林で、落城当時のまま無傷の状態で保存されていた。
  古道側から見る御主殿前の曳橋 ハイカも小粒の御主殿側から望む城山川の曳橋

今回は御主殿、石仏群、福善寺を巡り登山道の新道から本丸跡へのハイクです。   急坂もある一般的な登山道。08.04.12. 往時を偲ぶ静かな佇まいの金子曲輪。08.04.12. 何を見てきたであろうか参道脇に佇む対の大杉。08.04.12.
福善寺からの登山道 椿の花弁が覆いつくす金子曲輪 八王子神社参道脇の大杉

曲輪(くるわ):     城・砦など一定の区域の周囲に築いた土や石の囲い。
金子曲輪:  尾根をひな壇状に造成。金子三郎左衛門家重が守備していた。
曲輪の南斜面は現在梅・椿・紅葉が植えられている。
小宮曲輪:      三の丸とも呼ばれていた。狩野一庵が守備していたが、
上杉景勝軍の奇襲に遭い落ちる。
松木曲輪:  二の丸、中の丸とも呼ばれていた。中山勘解由家範が守備をしていたが、
  前田利家軍と奮戦するも、多勢に無勢で落ちる。
  その勇猛ぶりを徳川家康が聞きつけ、遺児を水戸徳川の家老に抜擢する。
本丸:  城の中心で最も重要な曲輪ですが、平地があまり広くなく大きな建物は無かった
  ようです。北条氏照の留守を預かり横地監物吉信が守備していた。
他の曲輪:  御主殿前のアシダ曲輪・御主殿南の城山川南側の太鼓曲輪・本丸西側の
  無名曲輪が発掘調査で確認されている。
 

松木曲輪二の丸の崖ぶちの桜が満開。08.04.12. 花びら舞う中コーヒーの香りが漂う。08.04.12.   満開の桜の花弁が舞い落ちるなかで楽しみの昼食を済ませて、 豆とウオーターにこだわった暖かいコーヒーを飲む!まさにハイカー至福の一時です。
二の丸(松木曲輪)の古を偲び、絶壁の桜の花びらが舞い散る中でゆったりとコーヒーを飲む。 戦国武将のつわもの達の夢の跡の息吹が聞こえてきそうです。
春霞のなか絶壁の桜花びらが舞い散る ミニガスコンロより飲料水が重たい

ハイカーを魅了させる桜たち。08.04.12. 春霞の中腹に鮮やかでたわやかな紅枝垂れ。08.04.12.
多摩森林科学園にハイカー達が桜を満喫 桜保存林中腹にハイカーを魅了させる山桜と紅枝垂桜が競演

二の丸の往時を偲ぶ静かな佇まいの中での昼食を満喫して、下山はなだらかな旧道の登山道です。 多摩森林科学園のミニハイクコースで4月中旬咲きの桜達を愛でて帰着です。 参加者5名。9:15〜16:00帰着。18,200歩。  


第8回 下見ハイク 八王子城跡と多摩森林科学園 08.04.03.

北条氏照の菩提寺の宗関寺の枝垂れ。08.04.03. 北条氏照100回忌(1690年)に建てられた供養塔。08.04.03. 豊臣秀吉の軍勢に一日にして落城した八王子城跡へのハイク。 南多摩霊園前から城山川沿いを御主殿跡へ、そして殿様の道と言われる健脚組みが挑戦するごつごつした岩の沢登りです。 一般向けではありません。松木曲輪と本丸跡に辿り着けばヤッタです。
北条氏照が開基 した宗関寺の枝垂れ 北条氏照と家臣達の墓(供養塔)

北条氏照: 天文9年(1540)〜天正18年(1590)戦国期の武将。 北条は平姓なので「大石源三」「油井源三」「北条(平)陸奥守」と称した。 聡明で武勇に優れていたと言われ、 武蔵国滝山城城主の大石定久と養子縁組をしたが、後に姓を北条(自ら北条を名乗った記録はない) に復し大石氏を配下に組み入れる。 天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めの際には居城である八王子城には重臣を置いて守らせ、 自身は小田原城に籠もったが開城後に徹底抗戦を主張したため秀吉から切腹を命じられる。  

八王子城跡管理棟前の説明タイル版。08.04.03. 御主殿に渡る真新しい曳橋。08.04.03. 城の入口に当たる石垣と石畳の虎口。08.04.03.
入口広場のタイルに画かれた八王子城跡図 架け替え真新しい城山川に架かる曳橋 往時を偲ばす御主殿への石段(虎口)

曳橋: 古道から御主殿へ渡るために城山川に架けられた橋。 この手前の木橋を架けた場所は適の攻撃を阻止するために掘削した堀切です。
虎口: 城の入口で石垣や石畳が多く使われており、 築城は天正12年から15年(1587)と考えらていますが、 この時代の山城にはない石垣を多用した往時を偲ばす特徴がのこっている。
 

優雅な殿様の道とは違う険しい沢登り。08.04.03. 延喜16年(916)創建の八王子神社は八王子の名称の元です。08.04.03.   八王子城跡は北条氏照が小田原城の支城として築き天正15年(1587) に東北約9キロにある滝山城から移り居城とする。
天正18年(1590)豊臣秀吉の軍勢に対し重臣を置いて守らせたが、 猛攻により一日にて落城する。
殿様の道ですがごつごつした岩の沢登りです 山頂の八王子神社の参道

お楽しみの昼食を終えて緩やかな登山道から下山です。 その後高尾街道沿いの多摩森林科学園で250種類1700本が植えられた桜保存林を満喫して帰着です。
参加者4名。9:15〜16:00帰着。27,000歩。
  隠れた桜の名勝の多摩森林科学園。08.04.03. 2月下旬から4月下旬まで春爛漫の桜保存林。08.04.03.
遅咲きの寒緋桜が待つ多摩森林科学園 桜保存林の沢風に桜が揺れる

多摩森林科学園: 八王子市廿里町1833-81。
この場所は永禄12年(1569)小田原の北条氏が南下してきた武田軍を迎え撃った古戦場です。江戸時代は幕府直轄地となり、 江川太郎左衛門(伊豆韮山の反射炉で有名)が
代官として治めていた。 園内には当時植えられた江川ひのきが残っている。
此処の町名は廿里(とどり)  由来は「秩父まで十里、鎌倉まで十里」 廿(にじゅう)の
半分十々里からきたとか。
 

yahoo!japan 登録サイトのHPです。

  「浪漫街道を行くハイク・滝山城跡と高尾山」にリンク。 「浪漫街道を行くハイキング」にリンク。