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魅惑の歴史紀行 ハイキング |
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浪漫街道を行く ハイキング サークル |
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第11回 浪漫街道 尾根緑道 09.04.07. |
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都立小山内裏公園と尾根緑道:
町田市小山ケ丘四丁目、八王子市南大沢四・五丁目、鑓水二丁目。
09.04.07. 参加者:12名。 全行程 10,500歩。約6キロ。
小山内裏公園パークセンター: 東京都町田市小山ヶ丘4-4。
尾根緑道は古くからあるが都立公園の開園は平成16年7月。 |
小山内裏公園は、多摩丘陵の骨格をなす主稜線上に位置し、
北側は多摩川の支流太田川の源流部にあたり、
現在でも湧水の湧く谷戸地形が良好な姿で保存されている。
また公園の大部分は、多摩丘陵に特徴的な雑木林で覆われており、
谷戸部分の湿性草地とともに良好な植生が維持され、多様な動植物が生息しています |
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満開の染井吉野が出迎えです |
尾根緑道の整備済み区間は全長8キロ |
尾根緑道。
東京都の八王子市と町田市の境目あたりに「戦車道路」と名づけられた道があります。
大戦末期の昭和18年に完成した相模原陸軍造兵廠 (現在の在日米軍相模原補給廠)
の専用道路でした。
戦車の性能テストや操縦訓練のために作られたものだそうですが、
戦争も終盤になっていて実際はあまり使われなかったようです。
戦後しばらくは、防衛庁が管理していたが、多摩ニュータウンの整備のため、
土砂の運搬道路として舗装された。
現在は町田市が国から借り受け「尾根緑道」として8kmを整備され、
春に美しいサクラが開花し、夏には快適な木陰を造ってくれます。
「戦車道路」という「戦争の遺物」から、現在は市民の憩いの場、
すなわち「平和の象徴」へと大きく生まれ変わったのです。 |
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かわら尾根は古の証し |
樹勢のまま伸びる山桜 |
コブシが満開の鮎のみち |
かわら尾根と旧津島神社。
尾根緑道のこの北側には、古くから 「かわら尾根」と呼ばれている場所がある。
発掘調査の結果、4基の瓦窯跡が発見され、ここで作られた瓦は相模原海老名の国分寺と国分尼寺
(奈良時代の聖武天皇が各地方を治めるため国ごとに建てた)に使われていたことがわかりました。
しかし同じ多摩丘陵にある近隣の窯 (小山)では、武蔵国府中の国分寺で使われた瓦を作っており、
相武両国(相模国と武蔵国)の境界がどこにあったのか考える資料のひとつとされています。
江戸時代の安永年間に建てらた旧津島神社 (つちま様)は、
この北側の小高い場所にありましたが、公園の整備に伴い、
現在は札次神社 (町田市小山町2554、多摩境駅脇)に合祀されている。 |
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国分寺(こくぶんじ)、国分尼寺(こくぶんにじ)は、741年(天平13年)、
聖武天皇が国情不安を鎮撫するため、
各国に建立を命じた寺院で各国に一つずつ、国府
(奈良時代から平安時代に、令制国の国司が政務を執る施設が置かれた場所)のそばに置かれた。
正式名称は、
国分寺が金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)、
国分尼寺が法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)である。 |
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ピクニックの昼食済ませ満足顔 |
新芽も鮮やかな柳並木は珍しい |
八重紅枝垂れが満開です |
鮎のみち。 この道は 「津久井往還」と言い、三軒茶屋から世田谷通りを経て、登戸、鶴川と多摩丘陵を抜け津久井に至る旧街道です。
津久井で取れた鮎を江戸の町まで売りに行くのに通っていたことから 「鮎のみち」という名で呼ばれていました。
現在の都立大東門あたりを抜けて尾根道が通じていて、
そこには茶屋や休息所があったといわれています。 |
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満開の菜の花と桜、まさに春うららのピクニックです。
ピクニックの最後に4月20日開署の南大沢警察署の内覧会に足を延ばしました。
警視庁102番目の警察署で10年ぶりの新設だとか。
総勢約300名の署員、5階6階は独身寮で、
射撃場と101人収容できる留置施設を備えているが、残念!留置場だけは何故か公開されず。
随所に職員が立ち署内の撮影は禁止でした。 |
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