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魅惑の歴史紀行 ハイキング |
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浪漫街道を行く ハイキング サークル |
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第12回 八王子史跡 絹の道 '10.03.05. |
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昔の面影を色濃く残す絹の道は八王子市史跡で文化庁の歴史の道百選にも選ばれる |
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10.03.05.(金曜) 9:00〜14:30.
行程は南大沢駅前〜愛宕神社〜旧道〜永泉寺〜鑓水谷戸入口〜絹の道入口〜絹の道資料館〜絹の道〜道了堂跡〜東京工科大脇道〜
御殿峠〜山野美容芸術短大脇〜由木街道絹の道入口〜バス南大沢駅前。
総歩数 22,700歩(約14KM)でした。 |
上柚木公園が華やぐサンシュウ |
サンシュウは黄色の早春の花 |
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都立大学脇から柳沢池公園と辛夷(一般人には難読を橋桁に表記=こぶし)歩道橋を渡り上柚木総合公園へ |
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高校野球大会や陸上競技で有名な上柚木公園 |
芝生の丘展望台からの富士山 |
上柚木公園。
京王相模原線・南大沢駅の北西に位置する上柚木公園は、豊かな自然環境を残した21ヘクタールに及ぶ総合公園です。
公園内には、陸上競技場、野球場、ソフトボール場、テニスコートの4つの有料屋外運動施設のほか、
遊具を備えた児童遊園や展望台のある広大な芝生の丘などをそろえ、スポーツと憩いの場として親しまれている。
八王子市上柚木2丁目40。 |
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上柚木鎮座の火防の神、愛宕神社。
多摩ニュータウン事業により昭和61年に当地に還座。創建年代は古くて不詳。
合わせて丘陵雑木林に点在していた無名の祠の八雲神社、八幡神社、稲荷神社、弁財天社、毘沙門天社を社殿に祀る。 |
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多摩丘陵地帯は縄文時代の遺跡が多くあり、古くから周辺の広葉樹林から木の実やきのこを採取するなど人々の営みと、
弥生時代以降は周辺の里山から堆肥を取り、谷戸(谷地)
と呼ばれる小河川の流域で稲作や畑作を行う生活が多摩ニュータウン開発前まで続けられたが、
残念ながら古の民の営みが開発で途切れたのです。 |
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柚木集落が維持する神明神社 |
石塔に明治の由木村民の気概が |
白梅紅梅の香り漂う永泉寺 |
明神神社。 急勾配の参道と石段を登る社殿は昭和44年新築で創建時代は不詳。旧道からの参道には、
無名の民達の信仰心ある営みの証である、天保11年(1841)の常夜灯や、
明治39年建立の日露戦争凱旋記念の門柱の石塔が急勾配の参道に並ぶ。
永泉寺。 創建は弘治元年(1555)。
江戸時代幕府から寺領10石を受けた曹洞宗のお寺で、
明治18年(1885)火災で全焼したため、本堂は鑓水絹商人の八木下要右衛門邸の母屋の寄進をえて移築したもの。
境内墓所には生糸商人の墓が多くある。 |
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道標は西片面に「此方 はしもと 津久井 大山」 東片面に「此方 はら町田 神奈川 ふじさわ」
と刻まれている。北片面は「此方***」劣化激しく判読できず。
御殿峠越えの道を横浜街道と呼ぶ以前は、この鑓水峠越えの道が神奈川往来と称され、
八王子から町田を経て神奈川へ行く主要道だったことを物語っており、
絹の道として栄えた頃の歴史的道標である。 |
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大栗川御殿橋わきの道標 |
八王子道道標。(大栗川御殿橋脇)
輸出品の花形であった生糸を横浜港へ運ぶ時の道しるべとして慶応元年(1865)に建てられた。
当時この道筋には、家屋敷が建ち並び外国人等も往来し大変な賑わいをみせていました。
生糸の仲買人として活躍したこの地の商人達は、鑓水商人として、後世にその名を残しています。 |
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絹の道資料館。 永年空き地となっていた鑓水の生糸商の八木下要右衛門の屋敷跡で、
昭和62年から発掘調査による書院の異人館跡や暗渠の石積み水路などの遺構や石垣の復元で平成2年に開設。
(母屋は既に明治18年に永泉寺の本堂として移築) 八王子市鑓水989-2。 |
絹の道資料館の屋敷門 |
入母屋屋根の絹の道資料館 |
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石塔立つ分かれ道から歴史の道 |
昔の面影残す未舗装の絹の道 |
歴史の道の絹の道を包む竹林 |
絹の道。(文化庁選定、歴史の道百選)
安政6年(1859)横浜が開港し、八王子から鑓水、原町田を通って横浜へ通じていた、
鉄道が発達する明治の中ごろまで輸出用の安価で上質な生糸が多数運ばれたルートの一つです。
山梨などからの生糸はこの道を通って横浜へ運ばれ、生糸の流通の仲買で活躍したのが地元の鑓水商人であった。
現在由木街道の旧道の御殿橋のたもとから、道了堂跡前の「絹の道碑」の前までの約1.5KMが「絹の道」として
八王子市の史跡に指定されている。このうち、特に昔の面影をよく残す未舗装の約1.0KM
は文化庁選定「歴史の道百選」にも選ばれました。 |
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道了堂。 (鑓水永泉寺の別院)
鑓水商人の大塚吾郎吉らが中心となって、峠を通る旅人や村内の安全のために、
村でも見晴らしの良い峠の上に、浅草花川戸から道了尊を勧請して明治7年(1874)に創建した。
石段の下右手に建つ築礎碑は明治13年(1880)に「八王子絹糸商」が建てたもので、
道了堂を祀った経緯を記し、本堂跡に向って左手の延命児育地蔵は明治14年(1881)、
石燈籠二基は明治23年(1890)に造られ、右手に立つ線刻の観音像は明治20年(1887)
に大塚五郎吉などが寄進。 |
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左に絹の道碑が立つ道了堂跡前 |
道了尊: 室町時代の僧。あざなは妙覚、生国、俗姓も不詳。相模の大雄山最乗寺の開山・了庵悲明に師事し、同寺の開創に尽力。
応永十八年(1411)同寺護持の大願をおこして天狗となり白狐に乗って昇天したとい われる。
その姿を道了薩唾(さった)・道了権現・道了尊と号して山門の守護にしたという。
明治41年(1908)に横浜鉄道(現JR横浜線)が開通すると、
絹の道が衰退していき、鑓水商人の没落と共に衰え廃寺になって、昭和58年(1983)には朽ち果てた大塚山道了堂は解体され、
その跡地を整備して、今は境内に礎石と灯籠などがわずかに、かっての面影を偲ばせて、
平成2年(1990)に大塚山公園(213M)として開設されました。 |
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ハイクの帰路は、武蔵野の雑木林と鑓水の長閑な里山を愛でながら、 大塚山公園〜鑓水峠〜
御殿山尾根道〜 御殿峠〜山野美容短大脇〜鑓水峠越え旧道 〜御殿橋〜バスにて南大沢
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国道16号の御殿峠 |
鑓水峠越え旧道沿いの梅林 |
御殿橋に嵌め込まれた道了堂図 |
御殿山213.4M(御殿峠)から流れでて大栗川となる谷戸入口(絹の道入口)に架かる御殿橋の親柱に明治26年(1893)
の大塚山道了堂境内之図が嵌め込まれている。
「武蔵国南多摩郡由木村鑓水大塚山道了堂境内之図」の題名のある石版画(複製の銅版画)には、
満開の桜のもと参詣人で賑わう境内のようすが回廊をめぐらす伽藍の配列とともに描かれ、
下段には湘南の江ノ島等が四図描かれています。 |
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鑓水 地名の由来: 古くから多摩丘陵の斜面に竹槍状の青竹を打ち込むと直に水が出るので、
このやり方で飲料水を得ていました。
この方法を「ヤリミズ」と言い、鑓水の由来と言われている。 |
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