歴史の浪漫街道 祭りだ!神輿だ!祭り神輿。 寒風の中で血湧き肉踊る熱気の江の島寒中神輿練成大会
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 祭り神輿


    第30回 江ノ島寒中神輿練成大会 平成23年1月 (毎年)

冷たき片瀬江の島での気合の寒中渡御。'11.01.16.
春の日差しが注ぐ中で片瀬江の島寒中神輿練成大会の四基連合の海中渡御

出迎えてくれる小田急片瀬江ノ島駅。'11.01.16. 江の島から望む片瀬海岸東浜。'11.01.16. 皆が大焚火に集まる。'11.01.16.
龍宮の小田急片瀬江ノ島駅 海中渡御する片瀬海岸東浜会場 皆が砂浜の焚火に自然と集まる

藤沢鎌倉神輿連合会 寒中神輿練成大会。  会場: 藤沢市・片瀬海岸東浜。
2011年1月16日(日曜) 11:00〜12:30頃。  海中渡御は 午前11時40分頃から。
黒漆塗り二天棒の腰越小動会。 三巴紋の片瀬諏訪睦。 二天棒の藤沢伊勢睦。白木四天棒藤沢鳳龍会。 全てが箪笥と呼ばれる金物のついたどっこい担ぎです。
 

主役の四基が浜に鎮座。'11.01.16. 成人祝う神事。'11.01.16. 祭り神輿なのでカラフルな褌姿。'11.01.16.
東浜に鎮座する主役の四基 江島神社の神職による神事 暖とる色褌姿の担ぎ手達

寒風寒中に負けぬ担ぎ手の気合。'11.01.16. 日が陰るとサム!!'11.01.16. 担ぎ手達の気合しぶきでレンズ曇る。'11.01.16.
冷たき海に負けぬ担ぎ手達の気合 雲の日陰では見た目もサムゥ! レンズが担ぎ手達のしぶき受け

血湧き肉踊る熱気の担ぎ手達。'11.01.16.
海中から浜に上がって四基のどっこい担ぎの神輿揉みで熱気が立ち昇る

浜の上で血湧き肉踊る熱気の担ぎ手。'11.01.16. ドッコイ担ぎで何度も神輿揉み。'11.01.16.
寒さ吹き飛ばせと猛者達の響くどっこいドッコイ 木を入れさせぬどっこいの神輿揉みを繰り返す

相模湾挟んで霊峰富士。'11.01.16. 江の島は修行の場であった。'11.01.16. 文政四年建造の青銅鳥居。'11.01.16.
相模湾から望む富士山 片瀬海岸から望む江の島 参道の文政四年の青銅鳥居

「江島神社」 欽明天皇13年(552)に岩屋(御窟)に神を祀ったのが始まりとされ、 御窟を本宮といい、 奥津宮を本宮御旅所、中津宮を上の宮、辺津宮を下の宮と呼んでいた。 祭神は奥津宮の多紀理比売命、中津宮の市寸島比売命、 辺津宮の田寸津比売命の3神。 昔は江島明神と呼ばれていたが、仏教との習合によって弁財天女とされ、江の島弁財天として信仰されるに至った。
文政4年(1821)に再建された江の島大明神の額を掲げた青銅鳥居参道の道幅は昔のままで、 江戸時代末期の庶民の行楽地として大山詣り〜江の島〜鎌倉〜金沢八景の物見遊山が流行った。
 

昭和11年建造の朱色鳥居。'11.01.16. 弁財天の賽銭箱。'11.01.16. 良縁成就のむすび絵馬。'11.01.16.
辺津宮瑞心門前に建つ朱色鳥居 弁財天の賽銭箱 辺津宮縁むすび赤絵馬

江ノ島。 四囲を海蝕崖に囲まれた険阻な地形、海蝕洞「岩屋」の存在から、修行の場として、 また葛飾北斎の『富嶽三十六景』にも描かれた事でも有名です。

役 小角(えんの おづの)(飛鳥時代から奈良時代)。 通称を役行者(えんのぎょうじゃ)と呼び修験道の開祖とされ、江の島の記述がある。 以降平安時代には空海(弘法大師=真言宗の開祖)、円仁が、鎌倉時代には良信(慈悲上人)、一遍(時宗の開祖)が修行した。
寿永元年(1182)に源頼朝の祈願により文覚が弁財天(七福神の一人)を勧請し、 頼朝が鳥居を奉納したことをきっかけに、代々の将軍や御家人(征夷大将軍の家臣)が参拝した。
以降、江の島は安芸の宮島、近江の竹生島とともに日本三弁天とされる。
 

片瀬の地名の由来。古い記録では、方瀬、潟瀬、固瀬、堅瀬、肩瀬などと表現されていますが、 いずれにせよ「川の瀬」に由来するものといわれています。

藤澤の地名の由来。  藤沢次郎清親(鎌倉時代)の居住地の説があるが、 淵(ふち)や沢の多い土地、淵沢(ふちさわ)が藤沢に転化したとする説が有力です。
 


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