歴史の浪漫街道 祭りだ!神輿だ!祭り神輿。 浄土宗大本山の増上寺を鎮守する熊野権現みこし講の奉納
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 祭り神輿


    増上寺熊野みこし講 平成26年4月(毎年)


三解脱門から境内に入り込む熊野みこし講の神輿。'14.04.20.
元和八年(1622)建造の三解脱門 (三門)から増上寺境内に入り込んだ熊野みこし講の神輿

大門(総門・表門)昭和十二年(1937)建造。'14.04.20. 元和八年(1622)建造。'14.04.20. 本堂 昭和四十九年(1974)戦災で焼失して再建。'14.04.20.
増上寺の総門・表門の大門 重要文化財の三解脱門 (三門) 大本山増上寺の本堂と東京タワー

浄土宗 大本山増上寺は徳川将軍家の菩提寺であり、創建は明徳4年(1393)。
大門 (増上寺の総門・表門)、三解脱門 (三門)、本堂と東京タワーが有名。
大門は慶長三年(1598)の江戸城の増築時に大手門を徳川家康から寄贈され、 以来大門は地名の芝大門の由来になっている門です。
 

鎮守の摂社熊野神社。'14.04.20. 三本足の八咫烏。'14.04.20.   熊野神社: 元和十年(1624)、当寺第十三世正誉廓山上人が熊野権現を増上寺鎮守として東北の鬼門に勧請したもの。
小さな社は昭和60年及び平成16年に修復工事が行われる。
東京都港区芝公園四丁目7番。
増上寺鎮守の摂社熊野神社 紋は日輪に三本足の八咫烏

熊野みこし講の神輿。'14.04.20.   増上寺熊野みこし講の奉納
'14.04.20. (日曜) 10時半〜12時
順路 浜松町大門〜三解脱門〜境内光摂殿〜本殿(本堂)〜安国殿〜小休息〜摂社熊野神社

軒下や胴の各所に彩色陶器が嵌め込まれ屋根は桔梗紋と巴紋。手入れも行き届き鮮やかな色彩である。
三社浅草二町会神輿の大鳥と屋根紋を取り替えか。

大門からの担ぎ出し。'14.04.20.
大門から増上寺本堂に向けて台座三尺六寸の熊野みこし講神輿の担ぎ出し

担ぎ手の雄叫びが響く。'14.04.20.
白木の横棒は直径20cm 路盤や軒下、胴や玉垣の狛犬など彩色陶器が嵌めている

ヒマラヤ杉が出迎える。'14.04.20. 神輿揉みは左右にブレ。'14.04.20.
境内に入り込み左右にブレながらジワリと前進 担ぎ手達が気合入れなおして激しい神輿揉み

増上寺は日光東照宮、寛永寺と並ぶ徳川家三大墓所の一つです。
領地(寺領)は一万余石。二十五万坪の境内には、坊中寺院四十八や学寮百数十軒が立ち並び、「寺格百万石」とうたわれていたが、 明治維新の神仏分離の影響により規模は縮小し、境内の広範囲が芝公園や芝東照宮なった。
 

本堂下での差し上げご挨拶。'14.04.20.
増上寺境内に入り込み参道進み本堂石段下で巡行の差し上げご挨拶

お膝元の芝濱囃子に迎えられる。'14.04.20. 光摂殿へ進む。'14.04.20.
芝濱囃子に迎えられ坂道登り社務所前へ 社務所から講堂の光摂殿へ向かう

差し上げご挨拶後に社務所から光摂殿 (講堂・道場)〜本殿 (本堂)〜安国殿 (勝運・厄除けの阿弥陀如来)〜摂社熊野神社へと巡行していく。  

享保元年(1716)に建立の碑に刻まれた「め組」の纏が。'14.04.20.   町火消し: 増上寺門前の町火消しで有名な 「め組」の鳶職と江戸相撲の力士たちの喧嘩は、文化二年(1805) に芝神明宮(現在のだらだら祭りの芝大神宮)境内で起き、鳶職の辰五郎は講談や芝居の題材にされ人気を集めた。  (新門辰五郎は「を組」で別人)
江戸っ子を歌った都々逸(どどいつ)で、「芝で生まれて神田で育ち、今じゃ火消しの纏持ち」 と芝一帯は 江戸っ子の本場だった。
 (なお増上寺の山内は寺社奉行配下の大名火消しであった)


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