歴史の浪漫街道 祭りだ!神輿だ!祭り神輿。 震災復興願っての鎮座1200年祭記念の諏訪神社立川夏祭り。
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 祭り神輿

    立川諏訪神社(立川夏祭り) 平成23年8月 (毎年)

さすが魁を勤める貫録十分の花睦。'11.08.28.
貫録風貌十分の魁の花睦が境内拝殿前から悠然と隋身門へと向かう

丁寧な作りのPOP.'11.08.28. 隋神納めている隋身門。'11.08.28. 再建なった珍しい三社連なった拝殿。'11.08.28.   立川夏祭り
 (諏訪神社例大祭)
'11.08.28・(日)
 神輿宮出し13:00
   宮入17:30
神社通りを中心に露店120店が並ぶ盛大な祭の睦神輿巡行
例大祭POP 矢大臣と左大臣の隋身門 諏訪神社三社繋がる拝殿

第五十二代嵯峨天皇の弘仁二年(811年)信濃国(長野県)諏訪大社(上社)より勧請。 古くは農耕における守護神、ひいては生活の根源神として地域の人々の心の依り所となっている。 ご利益は武勇・開拓の神様です。
不審火で焼失の拝殿(中央に諏訪神社・左側に八幡神社・右側に稲荷神社)は、 平成14年(2002)に再建された。  東京都 立川市 柴崎町1-5-15
 

今年は諏訪神社鎮座1200年祭。 長野県諏訪市御柱祭木遣り保存会による木遣り奉納や 諏訪市の三友会喇叭のラッパ奉納があった。   鎮座記念提灯。'11.08.28. 御柱木遣と揃い法被のラッパ隊。'11.08.28.
神社通りに掲げられた提灯 神楽殿での御柱木遣唄や揃い法被のラッパ隊

諏訪市諏訪大社の御柱祭の昔風の喇叭三友会は小太鼓、大太鼓、シンバル、そして指揮をとる人がいる。 「三友会」とは諏訪市北山・米沢・湖東の三地区の意味で、 だからハッピの背中には大きく団結の「三友会」の文字が入る。  

花睦の担出し。'11.08.28. 斜めに担ぎ門に近かずく。'11.08.28. 斜めに支えて門に入り込む。'11.08.28.
魁の「花睦」は貫録十分 右担ぎ棒は下げ左は上げる 斜めに支えたまま門を潜る

北睦の担ぎだし。'11.08.28. 神輿を下げて門を潜る。'11.08.28.   ↑ 台座3尺(91cm)魁の花睦は斜め担ぎの隋身門潜りで観衆からは驚嘆の声と拍手喝采を受けていた。

← 二番手の北睦は膝下まで下げてのよいと担ぎで隋身門潜りです。
悠然と担がれて隋身門へ 隋身門潜り混んでやんやの喝采

三番手の心睦。 台座三尺五寸(106cm)と一番の大型神輿です。 蕨手も異様に大きいのです。
膝下まで下げての苦しい態勢でのよいと担ぎで隋身門潜り。
  台座三尺五寸の心睦。'11.08.28. ジワジワ下げながらの門潜り。'11.08.28.
台座三尺五寸の心睦 ぐぐ〜と下げて門潜り

葱花の鳳輦。'11.08.28. 斜め差しで門潜り。'11.08.28.   四番手の葱花の鳳輦
右膝下まで下げて左担ぎ手は目一杯差し上げての隋身門潜り。
毎年の担ぎで気心知れた担ぎ手故か、息も合っています。
珍しい葱花の鳳輦 斜めに担いでの門潜り

揃いの印半纏で担ぐ五番手の諏訪飛鳳は台座三尺一寸(95cm)。
大神輿だが左右担ぎ手は膝下まで担ぎ棒下げての隋身門潜りです。
  台座三尺一寸の諏訪飛鳳。'11.08.28. ぐ〜と下げての門潜り。'11.08.28.
台座三尺一寸の諏訪飛鳳 ぐ〜と下げての門潜り

手拍子で担ぎ手鼓舞。'11.08.28. 屋根の鳳凰が大きい。'11.08.28.   殿務める6番手の「みよし会」神輿。手拍子で担ぎ手鼓舞する。
宮出しの東参道での担ぎに気お取られ、みよし会の隋身門潜りは残念ながら見損じました。
黒屋根には台座に似合わず非常に大きい鳳凰が載っている。
周りが鼓舞する殿のみよし会 屋根の鳳凰が大きい神輿

巡行の神輿順は 1)立川「花睦」、2)柴三北の「北睦」、3)彩心連合の「心睦」、
4) 葱花の「鳳輦」、5)「諏訪飛鳳」、6)殿は「みよし会」の六基。
本殿前から隋身門を潜り露店が立ち並ぶ東参道から諏訪通りを巡行です。 今回は祭リ自粛のためモノレール駅までは行かず。心和太鼓が祭り囃しで出迎える。
 

心和太鼓。'11.08.28. 花睦が諏訪通りへ顔を出す。'11.08.28. 殿は諏訪通りから路地の駐機場へ。'11.08.28.
迎え太鼓打つ心和太鼓 花睦が諏訪通りへと巡行してくる 諏訪飛鳳と殿のみよし会

花睦が連合で巡行。'11.08.28. 諏訪通りを3基連なって巡行。'11.08.28.
花睦が諏訪通りを連合で巡行してくる 柴三北の「北睦」彩心連合の「心睦」葱花の「鳳輦」

諏訪通りを威勢よく連合巡行してくる北睦と心睦。'11.08.28.
狭い東参道を抜けて諏訪通りを威勢よく連合巡行してくる北睦と心睦

立川地名の由来:  武蔵国府が現在の府中市にあった時代、 その府中宿付近より見て現在の多摩市付近で東西に連なる山を多摩の横山と呼び、 その多摩の横山から見て多摩川が縦方向(南北)に流れている近辺(現在の立川、日野近辺) を立の河と呼んでいた。立の河が次第に変化して現在の立川になったと言われている。  また地方豪族の立川氏(たちかわ・し)が、現在の普済寺に城をつくったことから立川(たちかわ) になったと言われている、説もある。  

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