歴史の浪漫街道 祭りだ!神輿だ!祭り神輿。 山車の曳っかわせが最大の見せ場の東村山市民産業祭り
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 祭り神輿


    第50回東村山市民産業祭り 平成23年11月(毎年)

会場のゲート前を山車と神輿がすれ違う。'11.11.13.
諏訪神社の山車を西宿諏訪町の囃手が囃し立てる横を武州七祭会神輿がすれ違う

第50回目のPOP。'11.11.13.   第50回東村山市民産業まつり神輿パレード。
'11.11.13.(日曜) 午前11:25〜、午後14:25〜。
  東村山市役所前道路。
昭和37年に始まった祭りは、頑張ろう日本!ともに咲かそう夢・未来!が今年のスローガンで、 天王森公園から府中街道までの約400mのアトラクションロードで神輿と大太鼓と山車のパレード。 神輿は武州七祭会神輿、御太鼓は金山神社(廻田町)と山車6基の競演です。
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会場前で撥打ち続ける御太鼓。'11.11.13. 神輿を鼓舞する御太鼓。'11.11.13.
金山神社廻田町の御太鼓 氷川神社の秋津町山車を迎える 七祭会神輿を鼓舞する御太鼓

金山神社廻田町の御太鼓は地元の個人寄贈によるものだが、多摩地区周辺の大太鼓と引けを取らない太鼓です。 金山神社は廻 (めぐ)り田村の下組の鎮守でしたが、明治に入り村の鎮守となり、祭神は珍しい鍛冶の神様なのです。  

天王森公園から舞台屋台山車が巡行開始。'11.11.13. 熊野神社と金山神社の曳っかわせ。'11.11.13. 舞台屋台の獅子と狐の所作。'11.11.13.
全て大唐破風屋根の舞台屋台 熊野神社と金山の曳っかわせ 曳っかわせの獅子と狐の所作

東村山市祭囃子保存連合協議会は氷川神社(秋津町)、熊野神社(久米川町)、 八坂神社(野口町、栄町)、金山神社(廻田町)、諏訪神社(諏訪町)、稲荷神社(恩多町)の市内六社で、 祭囃子は、重松流で市無形民俗文化財で、昭和44年に指定です。
「曳っかわせ」とは、祭礼中に屋台が出会った時には、囃子を行い向かい合う数台の山車が、 囃子(笛、太鼓、鉦)と踊りで競い合う山車の競演の最大の見せ場なのです。
 

御太鼓に鼓舞され武州七祭会神輿の担ぎ出し。'11.11.13. アトラクションロードを掻き分け巡行。'11.11.13.
御太鼓に鼓舞されて武州七祭会神輿が巡行開始 天王森公園で折り返し府中街道入口目指す

アトラクションロードでの神輿巡行は七祭会神輿一基と寂しいが、 御太鼓の撥が会場前で祭り雰囲気を盛り上げて、山車は六台の舞台屋台での見所の曳っかわせ(行き違い)が妙です。 台座2尺5寸(76cm)の七祭会神輿の巡行は午前11時25分からと、午後14時25分からの山車と神輿の二回です。  

天王森公園で折り返して悠然と巡行する武州七祭会神輿。'11.11.13.
東村山市役所前のアトラクションロードを掻き分ける様に武州七祭会神輿が担がれてくる

東村山地名の由来。 東村山の歴史は古く、 7世紀の大化〜大宝年間には、武蔵国府中(府中市)に国府が置かれ、 上野国と武蔵国を結ぶ官道「東山道」が通じ、鎌倉時代には鎌倉街道が整備され、 承応3年(1654)には玉川上水が、翌年には野火止用水が開削され、新田開発が行われた。 明治22年(1889)の町村制施行の際に、北多摩郡野口村・廻田村・大岱村・久米川村・ 南秋津村が合併して東村山村(ひがしむらやまむら)となった。 村名は、この一帯を村山郷といい、村域がその東部にあったことによるものである。  

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