熊野神社をはじめ、中神村に多くの寄進をした当時の豪商の中野九次郎は、
縞買(しまかい:地域的に分業化された養蚕・製糸・織物を取りまとめる仲買商)として財をなし、
神仏の信仰深い名主でしたが慶応2年(1866)武州秩父郡上名栗村(埼玉県入間郡)に発生した一揆(武州一揆)
の際多摩川の築地(ついじ)渡船場へ向かう一揆勢に 襲われ放火される。
また明治26年(1893)に西川製糸を設立した西川伊左衛門は、
24歳で独立し時代の風を的確に読み高品質にこだわった100%アメリカ向け製品を作った。
その結果大正15年(1926)米・フィラデルフィア市で開かれた国際博覧会でグランプリを獲得。
が怪我で授賞式に出席することができず、昭和15年(1940)には西川製糸も軍需工場へと転換を余儀なくされる。 |
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