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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! 祭り神輿 |
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第55回 湯島天神梅祭り 平成24年2月 (毎年) |
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薄曇のなか湯島天神銅鳥居前の湯島中坂上からの二基連合での巡行発進 |
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湯島天満宮祭礼連合会主催 '12.02.26.(日曜)
13:00 湯島中坂上出発して三組坂上で折り返し 15:00 本殿参拝宮入
15:30 北回廊の特設奉納舞台前
湯島天神白梅太鼓保存会が奉納舞台で、北回廊での神輿揉みに合わせて華やかに白梅太鼓を奉納。 |
湯島梅まつりPOP |
本殿横の早咲き白梅 |
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湯島天神は 雄略天皇二年(西暦458)に勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命
(あめのたぢからお=力の神、スポーツの神)を奉斎したのが始まりで、
正平十年(1355)には菅原道真の偉徳を慕い文道の大祖と崇め本社に勧請した。 |
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湯島天神の梅まつりは江戸時代より「梅の名所」として多くの庶民に親しまれ、
初春の東京年中行事として、今では全国の風物詩となって定着しています。
梅園は約300本、樹齢は約70年〜80年で、
梅の種類は白加賀(しろかが=遅咲きの梅)が中心で、湯島の梅の約8割が白梅です。
緩やかな女坂梅園や唐門の梅園はいまだ蕾のまま、本殿横の早咲きのみ咲き始め、と今年寒くて開花が遅い。 |
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湯島中坂上からの二基連合の発進 |
時には並び時には重なっての担ぎ |
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三組坂上めざし巡行 |
復路銅鳥居からは女性が担ぎ手 |
唐門へ連合会の威勢良い担ぎ |
駒札の湯島連合会神輿は、豪華な旧宮神輿です。鳳凰にはダイヤを嵌め込み、四隅の蕨手は龍に乗る小鳥。
そうです今年の干支は辰年「龍」です。 |
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湯島は坂の町。
急な三十八段の天神石坂(天神男坂)や天神夫婦坂、嬬恋坂や斉藤実盛の首塚が坂の下にあったという実盛坂、
三組坂、清水坂と坂が多くある。
湯島の地は武蔵野本郷台の東端で半島状態の島だった為なのです。 |
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天神男坂横の梅園はまだ蕾 |
齋藤別当実盛いわれの実盛坂 |
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文京区五大花まつりとは
文京区の緑豊かな街をアピールするために、毎年四季折々の花をテーマにしたイベントが行われる。
@梅まつり 湯島天神、毎年2月頃 (神輿渡御) 昭和33年から55回目。
A桜まつり 播磨坂 毎年3月下旬〜4月上旬頃
Bツツジまつり 根津神社、毎年4〜5月頃 (神輿渡御) C紫陽花まつり 白山神社 毎年6月頃 (神輿渡御)
D菊まつり 湯島天神 毎年11月頃です。 |
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駒札梅まつりが拝殿前で神輿揉み |
熱気の神輿揉みの連合会 |
湯島連合会が差し上げご挨拶 |
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北回廊の特設奉納舞台の白梅太鼓の響きに合わせ二基並んでの神輿揉み |
天満宮、天神、どちらも「天神信仰」で、
もともとは天の神という意味の天神(てんしん・あまつかみ)の火雷天神の天神さまであったが、
右大臣の菅原道真が左大臣の藤原時平らに九州大宰府に左遷されてしまい、
冤罪を被り悔し涙の失意のうちに延喜3年(西暦903)死去したその怨念が、火雷天神と結びついた怨霊の神様の雷神信仰です。
道真の祟りを鎮めようと、平安時代中期に朝廷は京の北野に、また大宰府に道真を祀る天満宮を建立したのが御霊信仰です。
平安時代末期には怨念の部分が薄れ学者の道真が残り、 今では天神・天満宮が学問の神様となりました。 |
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