歴史の浪漫街道 祭りだ!神輿だ!祭り神輿。 2月に揃いの梅鉢紋の白半纏で二基担ぐ湯島天神の梅まつり
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 祭り神輿


    湯島天神 梅まつり神輿渡御 平成23年2月(毎年)

湯島中坂を二基連合で三組坂上目指し巡行。'11.02.27.
梅の香りが漂う淡い日差しの銅鳥居前の湯島中坂上からの連合渡御

梅まつりPOP。'11.02.27. ピンクの梅まつり幟。'11.02.27.   第54回湯島天神(天満宮)梅まつり 2月27日(日曜)
湯島天満宮祭礼連合会青年部の神輿渡御
13時 湯島銅鳥居前中坂上から担ぎ手400名の出立
三組坂上からの折り返し
  石鳥居から唐門前と銅鳥居の参道入り15時半宮入
台座2尺9寸(88cm)飾紐は紺色で駒札「湯島連合会」
  少し小振りの神輿の駒札は「梅祭り」を掲げている
東京都文京区湯島3-30
梅まつりPOP 湯島天神男坂に掛けられた幟

湯島天神は 雄略天皇二年(458)に勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命 (あめのたぢからお=力の神、スポーツの神)を奉斎したのが始まりで、 正平十年(1355)に菅原道真の偉徳を慕い文道の大祖と崇め本社に勧請した。  

宝物殿裏の観梅されぬ梅。'11.02.27. 珍しい枝垂れの白梅。'11.02.27. 絵馬が梅を隠す様。'11.02.27.
宝物殿銅鳥居脇の枝振よい梅 本殿脇の枝垂れの白梅 合格祈願や就職祈願の絵馬

湯島天神の梅まつり会場は唐門と女坂の梅園で、本数は約300本(8割が白梅)樹齢は約70年〜80年ですが、 多数の観梅者が梅を囲み写真はボツとしました。
なお文京区五大花まつりとは @梅まつり 湯島天神、A桜まつり 播磨坂Bツツジまつり 根津神社 C紫陽花まつり 白山神社D菊まつり 湯島天神です。
 

梅まつり神輿の巡行開始。'11.02.27. 小春日和の神輿担ぎに大満足の担ぎ手。'11.02.27.
湯島中坂上から400名の賑やかな連合渡御 神輿担げると喜びの担ぎ手たち

天神から連合して南下巡行。'11.02.27. 一路三組坂上目指す。'11.02.27. 三組坂上で反転折り返す。'11.02.27.
中坂から一路南下していく 三組坂上まで渡御 坂上で折り返し後休息

湯島中坂は天神の男坂と嬬恋坂の中間に造られたので中坂と呼ばれる。 南下していくと実盛坂である。斉藤実盛の屋敷が坂の下にあったという。 蔵前橋通りの清水坂下との途中が三組坂上、ここから東に向けて三組坂が下っている。 元和2年(1616)徳川家康が駿府で亡くなったとき、 仕えていた中間、小人、駕籠方の三組が江戸に返され、この地に屋敷地を賜ったのが坂の由来という。 その先が嬬恋坂。なんとも坂の多い町なのです。  

唐門から気合入れての宮入の態勢。'11.02.27. 拝殿前での揃い踏み。'11.02.27. まずは小振り神輿の差し上げ。'11.02.27.
唐門から宮入に銅鳥居目指す 拝殿前で二基の揃い踏み 息あった差し上げでご挨拶

拝殿脇東回廊から入り込む。'11.02.27. 境内狭しと二基の神輿揉み。'11.02.27.
拝殿脇の狭い回廊から特設奉納舞台へ 境内特設奉納舞台前での最後の神輿揉み

境内の特設奉納舞台の白梅太鼓の祭り囃子に迎えられて、担ぎ手は神輿揉み繰り返す。 白梅太鼓は時を告げる太鼓として伝わって来た「時太鼓」の響きを受け継いだものとか。   白梅太鼓は撥さばきも見事。'11.02.27.  

湯島天神の男坂。'11.02.27. 坂上から望む実盛坂。'11.02.27.   湯島地名の由来。 下町低地がまだ海だったころ湯島の地は武蔵野本郷台の東端で半島状態の島だった。
そして温泉が出たので「湯島」と呼んだようだ。 その高台の跡地に湯島天神が鎮座して坂道の理由が理解できる。奈良時代には官道も通っていた。
湯島天神の急な男坂 上から低地望む実盛坂


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