歴史の 浪漫街道 祭りだ!神輿だ!祭り神輿。 日枝神社の山王祭は京橋から日本橋までの下町連合御渡り。
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! 祭り神輿


    日枝神社 山王祭 下町連合御渡 平成20年6月 (3年毎)


お江戸の中心銀座での山王祭の下町連合御渡。08.06.15.
日枝神社 山王祭の下町連合御渡はお江戸日本橋と銀座の華

日曜早朝の銀座は静寂、お囃子だけが流れる。08.06.15. 下町連合御渡が中央通の京橋から始まる。08.06.15.   山王祭の下町連合御渡。
銀座中央通り周辺の日本橋六之部、七之部、京橋一之部の氏子町会の祭りは、 江戸時代創業の老舗店舗が軒を連ねる銀座が氏子。 江戸時代の伝統を重んじ、お神酒所も萱ヨシズ造り。 連合会小雑誌も上質紙カラー作り。
早朝の銀座に京橋一丁目の囃子が鳴る 銀座中央通りの京橋から日本橋へ

日本橋一丁目に進んできた神輿たち。08.06.15. 銀座中央通は交通遮断で担ぎ手天国。08.06.15.
「日本一」を先頭に日本橋へ進んできた連合神輿 お江戸の「へそ」の銀座通りは神輿の渦で熱気むんむん

お江戸のど真ん中!銀座中央通りの京橋から日本橋への十基の神輿の連合御渡です。
「巷では浅草の祭りとかが人気があるが、日枝神社とか神田明神の祭りこそ天下祭り! なんせ江戸城に入って将軍の前で盛り上がったんだから!
それに日枝神社は日本で一番広いエリアを守る神様。 こんなすげえ神社の氏子である我々はそれを誇りに祭りを盛り上げている!」  誉れ高き生粋の日本橋氏子衆の気概か。
 

  maturi-utiwa-.jpg(3356 byte)   山王祭の下町連合御渡 神輿出発順


連合御渡りの一番手は駒札ずばり「日本一」08.06.15. 名前負けしていない日本一神輿。08.06.15.   駒札は日本橋一丁目を「日本一」と記して意気込みをあらわす。
昭和59年宮本卯之助商店建造の台座二尺六寸、吹き返し彫金も見事な 高さ四尺九寸の背高神輿です。
展示中は鳳凰で巡行時には正確に復元した日本橋の擬宝珠を乗せて、 一番らしく魂振りも激しく巡行します。
さあ一番神輿だ、日本橋まで楽しく担げ! 蕨手、唐破風吹き返し、鳥居彫刻、日本一

担ぎ手の気合は十分の八丁堀神輿。08.06.15. 祭り本来の神事を重んじる茅場町。08.06.15. 連合は茅場町2.3丁目の昭和11年建造の神輿を担ぐ。08.06.15.
八丁堀神輿 茅場町1、2、3丁目と兜町連合 連合茅場町兜町神輿

京橋2丁目東町会神輿、祭りと無縁ビル窓清掃員が清掃中。 八重洲一丁目東町会(檜物町)大神輿。08.06.15. 昭和33年建造の日本橋連合神輿。08.06.15.
京橋2丁目東町会神輿、ビルに窓拭きが 町会一番の大神輿の檜物町神輿 江戸橋連合(日1東、日本橋2、日3東)神輿

昭和3年頃までは八重洲一丁目東の旧名は「日本橋区檜物町」なのです。 これは江戸時代に徳川家康が江戸城のまわりに武家屋敷を建てる際、 尾張から宮大工を集めて住まわせた。 大工は檜を扱う仕事であることから「檜物町」(ひものちょう)の名が生まれたと言われている。
江戸開府のころ江戸の町を発展させるべく幕府の命令で全国からいろいそな職人が江戸城下に集められた。 鍛冶職人:鍛冶橋、呉服問屋:呉服橋、ヒノキ職人、宮大工:檜物町等です。
 

昭和26年建造の京橋一丁目東神輿。08.16.15. 台座四方に白虎、青龍、玄武、朱雀が彫り込む日本橋二丁目通神輿。 日本橋三丁目西の神輿。08.06.15.
京橋一丁目東町会神輿 日本橋二丁目通町会神輿 日本橋三丁目西町会神輿

銀座中央通り周辺の日枝神社氏子町会神輿の「下町連合御渡り」 とうたっていますが、高島屋や野村證券等の法人企業も氏子です。 若手社員達総動員で担ぎ手になり、祭りを謳歌しています。
一番手の日本橋一丁目町会神輿が10時に日本橋を目指して出立してから、 殿の京橋三丁目が京橋を出たのは30分遅れです。
  昭和初期の建造と言われる京橋3丁目。08.06.15.
殿の京橋三丁目町会神輿

日本橋の欄干に青銅の麒麟。08.06.15. 日本橋とご縁深き日本一神輿。08.06.15.   日本橋一丁目町会神輿が日本橋の擬宝珠を掲げて、 日本橋の真ん中に鎮座する麒麟の前に到達です。
日本橋の麒麟と日本橋の江戸時代の擬宝珠が向き合う 「日本一」の駒札通りに見事な神輿

整備のため駐機して、いざ日本橋中央へ。08.06.15. 橋上中央での差し上げ。08.06.15. 悠然と日本橋を後にする檜物町大神輿。08.06.15.
明治の大神輿、整備し、いざ日本橋へと木が入る 日本橋中央で大神輿の指し上げです 連合御渡り終え多くの担ぎ手と氏子町内へ

八重洲一丁目東町会の檜物町大神輿は、明治43年建造で、台座三尺五寸(109CM) 高さ五尺七寸五分 (174CM) 重量は三百五十貫(約1トン)です。 関東大震災を潜り抜け、大空襲時は疎開して焼失をまぬがれてきた大神輿であり、 災難除けの神輿とも言われている。 平成六年に行徳の中台神輿店にて改修工事している。
大神輿を担ぐ町会の半纏にはもちろん「檜物町」の文字が染め抜かれている。
 

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