この祭りの進行に主導的役割を果たすのが、神輿に対する「祇園ばやし」であり、
			山車の曳行に、木やりうたと掛け合うのが、「神田ばやし」である。 
			この日、榊(カシ)にシメを付けた露払いを先導に、「祇園ばやし」を奏でる一団が、大太鼓、小太鼓を丸太にしつらえ、
			笛を添えてそれに続き、神輿のお旅所への先駆をつとめる。 
			
			それに付随して、山車が「神田ばやし」と木やりうたの風流に誘われて、
			祭衣装を装った氏子民に曳行される。
  
			
			この二つの囃子を、当初から伝承しているのは、玉川神社だけである。と神社説明文にはあるが、
			 (当日隣接の例大祭開催の武蔵阿蘇神社でも同様の所作をしています。) 	
			祇園・神田囃子ともに、天保年間(1830〜44)以降から江戸末期にかけて、関東代官伊奈半十郎の勧奨もあって、
			江戸東金(金町)葛西神社の神官能勢環の創始になる
			「葛西ばやし」にその源流を発していることは、芸能史上明らかである。と玉川神社説明文にある。 | 
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