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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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羽村玉川神社 八雲祭(天王祭) 平成26年4月 (毎年) |
神輿データ: 祭神: 素盞鳴尊 台座:二尺八寸(86) 建造年度:平成2年 製作者:仏道館みこし連
特記: 延軒屋根 勾欄造り 背高な神輿で祇園囃子が先駆け、山車の木遣歌と神田囃子で渡御。 |
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宮出しため境内拝殿前で前後左右に激しくしゃがみ飛び跳ねる神輿揉みを繰り返す |
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羽村玉川神社 摂社八雲祭 '14.04.13.(日曜) 宮出し 10時20分 宮入18時 羽村市羽中4-1 |
古式漂う掲示板 |
露払いが先導し祇園ばやし続く |
邪気払い鉄棒は未来の若き祭り人 |
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平安時代末期の武将畠山重忠一族が軍神(いくさがみ)、武士の守護神として尊ばれていた信州諏訪大社より勧請したと伝えられている。
もと諏訪宮、諏訪大明神、多摩大明神とも称した。天保年間に社家が火災のため、社史の詳細は不明である。
明治十五年、根岸地区の日枝神社を合祀して、玉川神社と改称した。 |
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担ぎ手が息を合わせて一気に跳ね上げる |
拝殿前でのしゃがみこむ激しい神輿揉み |
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多摩川の流れの筏の様に上下左右に動きの激しい神輿揉みを繰り返す |
明治12年(1879)、神社境内に西多摩小学校が建設されたことから、
羽村市近代学校教育発祥の地として記念的場所となっている。
未完の大作「大菩薩峠」で知られる中里介山は、多摩川畔の水車小屋に生まれこの小学校に学び一時期母校で教鞭を執った。
神社拝殿の甲源一刀流の掲額は「大菩薩峠」の初巻「甲源一刀流の巻」の題名としている。 |
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宮出しの鳥居前で思い切り跳ね上がる |
息を合わせて反動で沈み込む |
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宮出し後の渡御ご挨拶での鳥居前交差点での気迫の激しい神輿揉み |
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次ぎのお旅所までゆったり担ぎ |
神輿前でお旅所祝詞が奏せられる |
氏子区域内を神輿渡御と山車巡行。
榊にシメを付けた露払いを先導に、「祇園ばやし」を奏でる一団が大太鼓・小太鼓を丸太に(現在は屋台です)
笛を添えてそれに続き、神輿のお旅所への先駆をつとめる。
山車が「神田ばやし」奏で、お旅所ごとに神輿前でお旅所祝詞が奏せられる。 |
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小春日和の農道をほっとした角はちまきの担ぎ手達がゆったりと渡御です |
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奈賀町囃子連の山車 山車が「神田ばやし」と木やりうたの風流に誘われて、祭衣装を装った氏子民に曳行される。
宵宮の12日には羽村の山車が羽村駅西口で15時〜17時まで「曳合せ」
参加山車は加美町、奈賀町、東町、五ノ神、川崎、小作本町の6台です。 |
羽村地名の由来: 羽村は端村の転で、武蔵野台地の西の「端」、
又は中世における鎌倉時代に三田氏領の東の「端」にできた集落とする説がある。
河岸段丘地の「ハケ」(崖線)から転じたともいわれる。 |
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