歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 3年ぶりの駒札長島と長島町の宮神輿二基の連合渡御と行徳担ぎのご披露
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    長島 八雲神社(香取神社境内社)  平成21年6月 (3年毎)

長島八雲神社の連合宮出し。09.06.28.
平成19年修復後初めての3年ぶり同寸の宮神輿二基での連合渡御の宮出し

神輿データ:祭神:建束須佐之男命 台座:三尺(91) 建造年度: 昭和29年 延軒屋根勾欄造り
   製作者: 駒札「長島」 行徳 浅子周慶    駒札「長島町」 行徳 後藤直光
 

八雲祭礼ポスタ。09.06.28. 境内社の高台に建つ八雲神社。09.06.28.   長島八雲神社。長島香取神社境内社
例大祭:09.06.28.(日曜)
  宮出し9時〜17時宮入。
東京都江戸川区東葛西2−34−20。

長島八雲神社は長島香取神社の境内社で昭和46年に改築した社殿です。
香取神社は旧名を茂呂神社といい、かつて長島村の鎮守だった。 別当の自性院が文久年間(1861〜1864)に火災に遭い、古記録を焼失したため詳細は不明だが、 400年以前の古社といわれている。祭神は経津主命(ふつぬしのみこと)で、 下総の香取神宮から分神されたもので、本殿と拝殿の彫刻は手の込んだ立派なもので建物側面を保護鉄柵が囲む。
 

社殿脇にひっそり展示の獅子頭。09.06.28. 長島八雲神社の発輿式。09.06.28. 赤の江戸睦と黒の長島田丁睦による宮出し。09.06.28.
八雲神社脇に展示の獅子頭 子供神輿を中央に鎮座させ発輿式 宮神輿の長島と長島町の宮出し

現在の神輿は、昭和29年に大人神輿2基と子供神輿1基、 山車一台が、氏子有志により造られました。 以降3年に一度の神輿渡御が行われるようになる。
前々回の平成15年度は諸事情から、車に神輿を載せての町内巡行だったが、 今回は修復後初の二基での連合渡御です。
 

駒札長島。09.06.28. 長島は黒屋根に龍の絵。09.06.28. 駒札長島町。09.06.28.
駒札長島の宮神輿 長島の黒屋根4面に龍が描かれ 駒札長島町の宮神輿

宮神輿は共に台座三尺(91) 建造年度は昭和29年の延軒屋根勾欄造りですが、 製作者は駒札「長島」は行徳 浅子周慶で黒屋根、吹き返し、野筋、路盤に龍を描き、 胴には極彩色散りばめた丸彫りで包まれている。、 駒札「長島町」は行徳 後藤直光で白木の丸彫りが胴を包む。お互いを競わせたのでしょう。  

掛声途切れぬ連合渡御。09.06.28. 威勢の良い連合渡御。09.06.28.
区立長島会館通りを連合渡御 旧江戸川土手へと東進してきます

江戸睦の音頭取りが見事に仕切る。09.06.28. 行徳担ぎの沈めたままの地すり。09.06.28. 差上げ放り上げ。09.06.23.
浦安橋下での行徳担ぎの地すり 長島が廻りだす音頭取りは江戸睦 片手での差しと最後の放り上げ

やりました! 行徳担ぎの「地すり」と「差し」と「放り上げ」を。 ご披露神輿は先頭の駒札「長島」 音頭取りは「江戸睦」 まさか江戸川区の祭礼で観れるとは感動です。

@地すり 音頭取り「ピィーピィ」担ぎ手「よいよい」 地上すれすれまで下げてまわす。体の状態は手は逆手の格好ですので、 神輿を背中越しで腰を下げて廻ります。
Aさし 掛声「まわれまわれ」神輿をさし上げ、片手でさし上げその状態で神輿を廻す。
Bほうり受け 技の最後が神輿が宙に浮かす(上に三回連続して投げる)のです。
もみ手一体となり、また興奮しながらも、この技は一番真剣です。 最後の担ぎ棒ほうり受け時は、担ぎ手緊張の余り大興奮です。 正調行徳担ぎは各3回繰り返すとか。
 

江戸川区に島がある。?。
旧江戸川の中州で南北700M東西200Mの護岸で囲まれた妙見島で、 かつての長島も河口のデルタに出来た中州の島で、 長島高城(東葛西一丁目と二丁目にかけての半径200M程の範囲に、古い寺社が10軒以上集まっている地域があって、 この地にはかつて長島高城と呼ばれた豪族の館があったと伝えられています) の周囲は大部分が海だったと思われます。
  対岸は工場地帯の江戸川区の妙見島。09.06.28.
妙見島は護岸で囲まれ唯一繋ぐ浦安橋

長島は下総国の国府を流れる古くは太日川(元渡良瀬川・現江戸川)の河口であり、交通の要衝だった。付近には長島高城があったという説がある。 長島には長島湊があり、国府の外港の1つとして栄えた。また長島には文中元年(応安五年 1372)に、 香取神宮の河関(灯油料所)があった事が知られている。 江戸時代に滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」にも登場する。  



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