歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 田無村柳沢宿の柳沢津嶋神社はささやかに柳沢庚申塔からの宮出し
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    柳沢津嶋神社 田無神社兼務社 平成21年7月 (毎年)

神輿データ: 祭神: 素盞鳴命 台座:三尺(92) 建造年度:大正15年
     製作者:阿佐ヶ谷の大工  特記: 旧柳澤宿の天王祭 駒札は田無柳澤
 

田無神社境内に入り込む柳沢津嶋神社神輿。09.07.12.
金色の屋根に一重巴紋、古式な朱色の鳥居と井垣の神輿が田無神社に入る

手創りポスター。09.07.12. 渡御主催は柳沢文化財保存会。09.07.12. 地口行灯、提灯、注連縄で飾られた旧お社。09.07.12.   柳沢津嶋神社例大祭
09.07.12.(日曜)
  13時〜17時
御旅所:田無町2丁目22
旧お社:田無町2丁目21
柳沢文化財保存会主催
素朴な告知 手作り地口行灯 住宅地のど真ん中の旧お社

田無神社兼務社の柳沢津嶋神社 (鳥居と社殿は田無町2丁目21に現存) (田無神社境内社の津嶋神社とは別) 宵宮の夜、神輿はお旅所 (柳沢の庚申塔:田無町2丁目22)に移されて、 お旅所 (お神酒所)から田無神社の神職により祝詞奏上して宮出しされる。
両側に地口行灯が立ち並ぶ青梅街道を30分ほどで到着して、合祀されている田無神社境内社の津嶋神社に向かい、 ここで祭儀 (祭神が同じためなのか)が行われた後、 氏子町内を渡御してお旅所に戻るのは午後5時ごろとなる。

田無神社
田無神社の例大祭
 10月10日〜11日
東京都西東京市
 田無町3-7-4 。
  残された江戸初期の石段。09.07.12. 社殿前の大祓いの茅の輪。
江戸初期の石段と明治の鳥居 例大祭のために残した6月の大祓いの茅の輪

田無神社の創立は遠く不祥です。本宮はすでに正応年間 (建長年間説もありますが、 いずれも13世紀、鎌倉期)には鎌倉街道 (保谷・田無を貫く現在の横山道)沿いの谷戸の宮山に鎮座し、 尉殿(じょうどの)大権現 (尉殿権現社)と呼ばれていました。 尉殿大権現は龍神で、水と風を治める豊饒の神々です。
正保3年(1646)に宮山から田無 (現在の地)に分祀され、明治5年(1872)に現社名に改める。

青梅街道柳沢の庚申塔からの宮出し。09.07.12. 渡御行列が神社通りに入り込む。09.07.12. 田無神社境内へ。09.07.12.
柳沢の庚申塔からの宮出し 青梅街道から神社通りへ入り込む 祭儀のため田無神社境内へ

柳沢とは別社の境内社の津嶋神社。09.07.12. 先導大太鼓は何故か田無神社まで。09.07.12. 神輿は舞殿から北参道を潜り氏子渡御へ。09.07.12.
祭神は同じである境内社の津嶋 大太鼓は氏子渡御前に収納 北参道から氏子区域への渡御へ

急勾配の屋根には高い路盤に大きい駒札が付く。 神輿提灯は路面を擦る様に滑らし、東久留米下里巴睦の大太鼓は氏子区域には同行せずお神酒社から田無神社までの先導です。 柳沢氏子では撥さばき出来ぬからでしょうか。  

柳沢伝馬宿: 青梅街道、所沢街道が交差し江戸時代より交通の要所として栄え、 慶長10年(1606)江戸城壁材の石灰を運ぶ道として田無村柳沢は宿(伝馬宿)として栄えた。
享保8年(1723)現存の庚申塔が建てられた。近くには明治8年、3寺が合併して創建された山門が見事な田無山総持寺(田無町三丁目8番12) がある。
田無市(たなしし)は、かつて東京都に存在した市で全国でも4番目に小さい市であったが、 平成13年(2001)1月21日に保谷市と合併し西東京市となった。
 


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