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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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田無 柳澤津島神社 平成26年7月 (毎年) |
神輿データ: 祭神: 素盞鳴命 台座:三尺(92) 建造年度:大正15年 製作者:阿佐ヶ谷の大工
特記: 旧柳澤宿の天王祭 駒札は田無柳澤 厄除けの神の牛頭天王を祀る愛知津島神社の分霊 田無神社境内社の津嶋神社とは別 ? |
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兼務社の田無神社での神事を執り行い北参道から改めて氏子地区へと渡御再開です |
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柳沢津嶋神社 '14.07.13.(日曜) 神事宮出し13時〜
柳澤庚申塔前歩道 田無町二丁目22番
同所にて宮入17時 集会所は隣接路地中 田無町2丁目21番 |
手作り祭礼POP |
旧社殿跡に建つ鳥居と柳澤集会所 |
集会所近くの享保8年建立の柳澤庚申塔 |
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東海地方を拠点とした織田氏は津島を氏神として崇敬し、社殿の造営などに尽力した。
織田氏の家紋の木瓜紋は津島の神紋と同じである。豊臣氏も社領を寄進し社殿を修造するなど当社を厚く保護した。
江戸時代には尾張藩主より神領を認められ、後に幕府公認の朱印地となった。
厄除けの神とされる牛頭天王を祀ることから、東海地方や東日本を中心に信仰を集め各地に分社が作られた。
明治の神仏分離で祭神を建速須佐之男命とし、社名から牛頭天王の名を外して津島神社となる。 |
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青梅街道西武新宿線ガード下脇での宮出し神事 |
庚申塔建つ歩道からの青梅街道へ宮出し |
田無神社兼務社の柳沢津嶋神社 (鳥居と社殿跡地に建つ社務所は田無町2丁目21に現存) (田無神社境内社の津嶋神社とは別)
宵宮の夜、神輿はお旅所に (柳沢の庚申塔:田無町2丁目22)。翌日に田無神社の神職により祝詞奏上して宮出しされる。 |
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歩道から青梅街道へとゆったりと宮出し |
通行止めされた青梅街道を悠然と渡御です |
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田無町一丁目交差点から旧青梅街道に入り込み田無神社の南参道を目指す |
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宮神輿の祭神を守り渡御路の清め所作なのです |
隊列の先頭で祭り囃子奏で担ぎ手を鼓舞する |
お囃子山車に続いて二張で渡御路の清め |
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お囃子山車や神職そして高張り提灯に先導され旧青梅街道を賑やかに渡御して神社前に |
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田無神社の南参道から境内に入り込み木が入る |
田無神社境内社の津嶋神社にて神事が行われる |
両側に地口行灯が疎らに立つ旧青梅街道を30分ほどで到着して、合祀されている田無神社境内社の津嶋神社に向かい、
ここで祭儀 (柳澤津島神社には社殿なく、祭神が同じためなのか)が行われる。 |
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神事執り行い田無神社北参道から賑やかな掛け声で氏子地区へと渡御再開 |
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田無神社北参道から広い車道の青梅街道に躍り出る様に田無町を南下して渡御 |
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お囃子に鼓舞されて北参道前の青梅街道沿いの田無町一丁目を渡御する |
西武新宿線の田無ガード脇から田無町一から田無神社参道を上がり境内へ、北参道から4号線を田無町一から氏子地区の路地中へ。
その後、深大寺街道、柳沢中央通りを廻ります。 氏子町内を渡御してお旅所(柳澤庚申塔)に戻るのは午後5時ごろとなる。 |
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柳沢伝馬宿: 青梅街道と所沢街道が交差し江戸時代より交通の要所として栄え、
慶長10年(1606)江戸城壁材の石灰を運ぶ道として田無村柳沢は宿(=伝馬宿)として栄えた。
享保8年(1723)現存の庚申塔が建てられた。近くには明治8年、田無町の三寺が合併して
創建された山門が見事な真言宗田無山総持寺(田無町三丁目8番12) がある。
田無市(たなしし)は、かつて東京都に存在した人口78千人の市で全国でも4番目に小さい市であったが、
平成13年(2001)に保谷市と合併し人口約20万の西東京市となった。 |
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