歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 野口八坂神社は野口の天王祭といわれ神輿 ・山車・お囃子が街道をねり歩く
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    八坂神社 野口の天王祭 平成21年7月 (毎年)

神輿データ: 祭神: 素盞鳴尊 台座:三尺(91) 建造年度:慶応3年 製作者:神田・神輿屋
   特記: 野口の天王祭 古神輿 正福寺から山車と神輿の渡御 雅楽浦安の舞(無形文化財)
 

正福寺山門から廻田街道に出てきた大太鼓と宮神輿。09.07.18.
野口八坂神社の例大祭渡御は大太鼓の露払い先導で仮社から本社を二日かけて往復する

野口の地口行灯。09.07.18. 氏子衆が正福寺へ。09.07.18. 本社から遠く離れた八坂神社参集殿。09.07.18.
野口の地口行灯 八坂神社野口の氏子衆が集結 正福寺山門前の八坂神社参集殿

八坂神社:江戸時代以前は天王社・天王宮と呼ばれ、旧野口村の鎮守であった。
寛文年間(1661〜73)旧別当・正福寺の火災によって古記類が焼失したため、創建年代等は不詳。 正福寺の境内に神輿の格納庫と仮宮があり、神仏習合・混淆の名残です。
もとは正福寺の鎮守として奉斉され、後に鎌倉街道(府中街道)沿いの現社地に遷ったものと考えられる。
明治2年(1869)八坂神社と改称。八坂神社の由緒書きには同年村社に列される。 大正13年(1924)氏子青年の活動として雅楽が導入された。 「雅楽・浦安の舞」として市の無形民俗文化財に指定されている。 平成元年(1989)社殿を新築した。
    お仮屋(正福寺): 東村山市野口町4−6−1
    八坂神社本社: 東京都東村山市栄町三丁目35−1
 

別当とは、神仏習合が許されていた江戸時代以前に、神社に付属して置かれた寺のこと。  

東村山市有形文化財の山門。09.07.18. 重厚感あふれる国宝の正福寺地蔵堂。09.07.18.   正福寺は金剛山と号し、臨済宗建長寺派。本尊は千手千眼観音。 入母屋造の屋根の端部が反り上がった外観は禅宗様式特有のものである。 30年に1度の正福寺地蔵堂の屋根の葺き替えが平成17年度に行われた。
東村山市野口町4-6-1 。
正福寺山門 反り上がった屋根の正福寺地蔵堂

正福寺: 弘安元年(1272)の開創で、開山は心月禅師、開基は北条時頼である。 応永14年(1407)建立の千体地蔵堂は東京都では唯一の国宝の建造物で、天王宮(八坂神社)の創建もこれらの年代から推測される。  

例大祭宵宮:7月18日(土曜)
正福寺13時出発〜八坂神社19時
例大祭本祭:7月19日(日曜)
八坂神社13時半〜正福寺20時着
往復とも東村山駅前を渡御する約10kmに渡り大太鼓を先頭に勇壮な神輿・山車・囃子が街道をねり歩く
  お仮社での厳かな発輿式。09.07.18. ささやかに氏子達での発輿式。09.07.18.
正福寺のお仮社にて 野口の氏子による発輿式

境内からの大太鼓の宮出し。09.07.18. これが最後の宮出し。感無量か。09.07.18. 山門前からの渡御。09.07.18.
先払いの大太鼓の宮出し 今回が最後の宮神輿の宮出し 正福寺山門からの渡御

悠然と先導する大太鼓。09.07.18. 経年劣化激しい宮神輿。09.07.18. 渡御の殿務める山車。09.07.18.
先導する大太鼓は大きい 見栄え見事な宮神輿 最後尾で祭囃子奏でる山車

宮神輿は建造から150年経て痛みが激しく、新しい宮神輿を建造中です。今回が最後の担ぎです。 大太鼓は平成元年の建造。山車は昭和45年の建造です。
牛頭天皇とは牛の頭をしたインドの神様。疫病を鎮めることで有名なこの神様、実は八岐大蛇を倒した英雄、 素戔嗚尊と同一視されている神様といわれている。野口の天王祭といわれるが荒れた担ぎ所作はない。
八坂神社本社では、 七月の祭礼時のみ拝殿に奉安される大獅子頭、市無形民族文化財の雅楽・浦安の舞、祭囃子など見所も多くある。


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