歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 西早稲田天祖神社の例大祭は長閑にゆったりと時が流れている
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    西早稲田天祖神社  平成21年 9月 (3年毎)

神輿データ:祭神: 天照皇大神 台座: 二尺六寸(78) 建造年度: 大正11年 製作者: 不明
              特記: 勾配の浅い延軒屋根 平屋台造り
 

午前だが強い日差しの中で気迫の担ぎが続く。09.09.06.
逆光の強い日差しの早稲田通りから路地中へと渡御する西早稲田天祖神社神輿

観衆に告ぐゴミ捨て場でない。祭りPOPが微笑ましい。09.09.06. 発輿式のお供え物が脇に其のままの社殿。09.09.06.   西早稲田天祖神社
09.09.06.(日曜) 宮出し9時〜午後
新宿区西早稲田3-17.(都電面影橋近く)
天祖神社は高田馬場町会、西早稲田文化町会と
  東西に広い氏子区域です。

この地は江戸時代は源兵衛村と呼ばれていた。
微笑ましいかわら版 留守居役だけの社殿

創建は豊臣家の遺臣の小泉源兵衛が大阪夏の陣に破れ、この地に隠れ住み、
伊勢に参籠して霊感を受け正保2年(1645)に創始。当時は神明社と呼ばれていた。
大都会の真ん中にあるが、ケヤキ、イチョウの神木など緑の多い静かな神社です。

強い日差しに猿田彦役は蒸し風呂?。09.09.06. 珍しや車なしの早稲田通りを渡御。09.09.06. 気合い込める天祖神社の担ぎ手。09.09.06.
強い日差しの中の渡御列 祭日午前の早稲田通りを渡御 ビル隙間から強い日差し

早稲田通りから路地中へ。09.09.06. 路地中で鼓舞する手拍子。09.09.06.
早稲田通りから路地中へ入り込む 強い日差しにも負げず担ぎ手たち気迫の担ぎ

早稲(ワセ)というのは普通の稲(ナカテ=中熟種)より早く結実する品種で、早稲田は早場米を植えた田をいう。 ほかにオクテ(晩生種)がある。
神田川流域は石神井川と同じ条件で狭長な谷地に水田を開いたので台風シーズンには洪水に浸かるところが多く、早生(ワセ)稲を植えるしかなかった。 それで早稲田の名が起こった。早稲田には秋口の食米不足を補うために早稲を植える田もある。
江戸時代に早稲田といえば「ミョウガ」だった. 早稲田はワセダミョウガの産地で江戸っ子にこよなく愛されたものだ。この地は元々江戸湾の入江であった。
源兵衛村: 文政年間(1818〜30) 戸数28戸、人口100名。明治5年(1872)戸数38戸、人口165名。 現在では想像つかぬ寒村でした。
 

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