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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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奥戸天祖神社 平成21年 10月 (3年毎) |
神輿データ:祭神: 天照皇大御神 台座:三尺(92) 建造年度:昭和初期 製作者: 不明
特記: 龍を廻らせた巴紋の延軒屋根 勾欄造り 胴羽目・鳥居・台座までもの総彫神輿 |
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数多くの同好会の担ぎ手達が和して担ぐ奥戸天祖神社の総彫神輿 |
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淡い色彩で統一のかわら版 |
奥戸天祖神社の鳥居 |
奥戸天祖神社の近代的社殿 |
奥戸天祖神社 例大祭 09.10.18.(日曜) 宮出し8時半〜宮入16時半。
葛飾区奥戸2-35-16 徒歩20分。または京成立石よりタウンバス。奥戸3丁目。
応永5年(1398)の「御厨文書」、「小田原衆所領役帳」に記載されている。
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大注連縄神事。収穫祭として行なわれ、しめ縄は約6mある。
出来上がった後は、付近を回り「アクマ払い」をした後、
正面鳥居に掛けられる。(葛飾区教育委員会説明文) |
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大注連縄神事。
幕末の嘉永(1848〜)の頃からの神事。現在は10月15日前後の土曜日に行われている。
長さ4間分の「大ごぼうじめ」の雄じめ・雌じめの2本を作り、1本は社前の神木に納め、
1本は悪魔祓いと称して氏子の若者が担いで村中を戸別に廻って祈祷するという慣例があったが、
現在は短い「ごぼうじめ」1本を神社に奉納し、正面の鳥居にかける。
稲作が行われなくなった今日では材料の稲藁も地元産はごく一部で、
多くを千葉県から調達している。区の登録無形民俗文化財です。 |
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森永乳業工場に入り込む |
多くの同好会が和して担いでいる |
広い敷地内を駐機場へと進む |
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隅々まで細かな造りの総彫神輿 |
鳳凰の尾先は葱花のように独特 |
屋根紋を囲む様に廻らせた龍 |
台座三尺の総彫神輿。鳥居や胴の彫刻の見事さ、屋根紋の全面彫刻の龍を廻らせた巴紋。
鳳凰の尾先は立ち上がり葱花が咲いたように独特なのです。 |
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森永乳業より午後の渡御の出立 |
バス通りから路地中へ入り込む |
奥戸2丁目の狭い路地中を渡御 |
操業52年の森永乳業で昼食を取って英気養った担ぎ手達。
その印半纏は多様です。奥戸天祖神社では約35もの同好会の応援団が和して担ぐのです。 |
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地名の由来。 奥戸は奥津の転じたものといわれ、戸は津で湊、渡船場や交易港のこと。
青戸より下流にあるので奥の意味は判らないが、
青戸側から見て沖か奥の意なのだろうか?中川はかつては利根川であり舟運はとても盛んだった。
中川とは埼玉県三郷市付近から下流の区間を指していたが、
これは荒川と江戸川の中間を流れることから、中川と命名されたようである。
現在の中川には、かつての利根川である大落古利根川、荒川である元荒川と綾瀬川が合流しているが、
これは江戸時代から続く流域の河川改修の歴史が凝縮されているのです。
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