歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 東京都下で最後の宮神輿渡御に多くの担ぎ手達が参集する奥戸天祖神社
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    奥戸天祖神社  平成24年10月 (3年毎)

神輿データ: 祭神: 天照皇大御神 台座:三尺(92)  建造年度:昭和初期  製作者: 不明
  特記: 龍を廻らせた巴紋の延軒屋根 勾欄造り 胴羽目・鳥居・台座までもの総彫神輿です。
 

大勢の担ぎ手に囲まれ岩戸二丁目を悠然と渡御。'12.10.21.
今年最後だと参集した多くの応援同好会担ぎ手に囲まれて渡御してくる奥戸天祖神社の宮神輿

簡素なPOP。'12.10.21. 提灯並ぶ鳥居参道。'12.10.21. 神明造の拝殿。'12.10.21.   奥戸天祖神社大祭
'12.10.21.(日曜)
宮出し8時半
    宮入16時半
大しめ縄神事は葛飾区の指定文化財
葛飾区奥戸2-35
祭礼POP 祭礼提灯に包まれた鳥居参道 神明造拝殿前に大しめ縄を掲げる

奥戸天祖神社は葛西御厨(平安時代の永万元年(1165)に伊勢神宮の荘園)であった頃、伊勢皇大神を勧請し、 また下総の香取・鹿島のニ神を勧請して、三社明神と称し、村の鎮守でした。 江戸時代には、寛永18年(1641)以来、8回にわたって再建または修復が行われ、 大正11年には拝殿が修築され、現在の社殿は昭和49年(1974)の造営とたえず建物更新している。  

環境整備はさすが森永乳業。'12.10.21. 気合い入れてイザ午後の渡御。'12.10.21.
清潔感溢れる森永乳業東京工場から出立つ 昼食で体力回復の森永乳業から午後の渡御

旧称の日本煉乳が母体の森永乳業の創業は大正6年(1917)、東京工場は昭和32年(1957)の創業です。 森永製菓とは兄弟会社です。  

森永乳業東京工場から出る総彫神輿。'12.10.21.
淡い日差しの中を長閑に談笑しながら工場正門から奥戸二丁目へと渡御

例大祭の隊列は神職一人のため辻払いはせず、お囃子山車、鉄棒、高張り提灯、御幣、宮神輿と簡素ですが、 都下では最後の宮神輿の渡御であり、周辺から多くの担ぎ手が駆けつけてくる。  

威勢よく二丁目公園目指す。'12.10.21. 氏子顧問宅の神酒所に入り込む。'12.10.21.
奥戸二丁目公園を目指して威勢よく渡御 狭い奥戸二丁目お神酒所に入り込む

中川左岸の奥戸一丁目は大半が森永乳業工場で、敷地境界線の壁が何所までも続いている。 その壁の北側が二丁目のお神酒所です。  

鮮やかな赤黒印半纏の女性担ぎ手達。'12.10.21.
奥戸二丁目お神酒所から天祖奥睦の鮮やかな赤黒印半纏で担ぐ女神輿

お神酒所は奥戸町会、一丁目町会、広々とした森永乳業工場での昼食、 二丁目町会の各お神酒所と、小休止の接待所が11ヶ所でご接待です。
奥戸二丁目お神酒所からは女神輿が黄色い掛け声で宮神輿を先導です。
 

女神輿は全てが女性。'12.10.21. 宮神輿を先導して行く。'12.10.21.
賑やかに黄色い掛け声で責任者も女性 渡御路はこっちと宮神輿を先導して行く

前日奉納された大注連縄。'12.10.21.   大しめ縄神事は葛飾区の指定文化財になっています。 幕末嘉永の頃から収穫祭として大しめ縄神事が行われ、 長さ4間2分の「ごぼうじめ」二本を作り、一本は社前の御神木に納め、 一本は氏子の若者が担いで村中を個別に廻って祈祷する慣習があったが、 現在は短い「ごぼうじめ」一本を
神社に奉納して、拝殿前の石柱に掲げる。
大しめ縄神事は例大祭前日の土曜に行われる。
拝殿前の奉納大注連縄

奥戸の地名の由来: 「奥戸」は中川が流れ舟による河川を利用した水運が発達していたことから 「奥津」が転訛した地名です。
「戸」は本来「津」を用いたもので、主として「港津」をあらわし、対岸へ渡ることにできる渡河地点である。 古墳時代から奈良・平安時代の集落が発掘され、地名が室町時代の文書にみられることなど、 古代から開発されていた土地です。
 


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