歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 大祭は氏子中心で小振りの宮神輿と印紋の太田桔梗の太田姫稲荷神社
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    太田姫稲荷神社 平成22年5月 (隔年)

神輿データ:祭神:宇迦之御魂大神 台座:二尺五寸(77) 建造年度:昭和初期 製作者:不明
          特記: 延軒屋根・平屋台造りの小振りの神輿
 

休日のオフイス街を宮神輿が渡御。'10.05.09.
小振りの宮神輿も氏子達の印半纏の太田桔梗紋も誇らしげ

狭い境内の太田姫稲荷。'10.05.09. 鬼門守った白狐。'10.05.09.   太田姫稲荷神社。
千代田区神田駿河台1-2。
本殿や神楽殿、社務所あるも、境内が狭いため鳥居下の敷地をお神酒所としている。 氏子区域にはコスト削減のため大祭のかわら版も貼られていない。 江戸城の鬼門を守ったと伝える白狐が軒下に置かれている。
何もない物静かな境内 太鼓の上に乗った白狐

太田姫稲荷神社例大祭 2010.05.09.(日曜) 宮出し8:30〜宮入17:00
神社は、神田駿河台のほぼ中央に鎮座しているが、 かつては江戸城内の創建で、後に現在の錦町あたり、さらに聖橋の袂へ、そして鉄道工事のために現在地とか。 錦町一丁目、小川町二丁目南、駿河台東町会、駿河台西町会が氏子域です。 各町会の半纏の背の印紋は神紋の「太田桔梗」(桔梗は「更に吉(さらによし)」と尊ばれ、 美濃土岐桔梗紋を簡略化したのが太田桔梗)襟に町会名が染め抜かれている。 本社の宮神輿が朝から夕刻まで氏子域を巡行。町会神輿はない。

  太田姫稲荷神社の神紋は太田道灌が用いた太田桔梗紋(白狐が乗った太鼓の紋や宮神輿の
  屋根紋)ですが、印半纏の紋は「丸に細桔梗」なのです。チョット違和感ありますが、これは主君
  の織田信長を襲った明智光秀の裏切り者の家紋を嫌ってのことでしょうか。
 

小振りながら途切れぬ神輿揉み。'10.05.09. 太田桔梗紋の氏子達。'10.05.09.
神輿揉みも途切れぬ 風格ある太田桔梗紋

神紋が輝く宮神輿。'10.05.09. 御挨拶の差し上げ。'10.05.09. 氏子区域隅々渡御です。'10.05.09.
見事な魂振りでの渡御 息の合った差し上げご挨拶 路地中を隅々まで渡御

難読地名「一口」  太田姫稲荷神社はかって一口(イモアライ)稲荷神社と呼ばれていたが、 「イモ」は芋でなく、天然痘(疱瘡)のこと。 室町時代ころから疱瘡は、「いも」とか「いもやみ」とか呼ばれていた。「イモアライ」は、疱瘡を治す神を意味する。
祭神は宇迦之御魂大神。旧名は一口(いもあらい)稲荷神社。太田道灌の娘が疱瘡にかかった時、 京都伏見の一口稲荷神社の故事を聞いた道灌が早速平癒祈願を行い、 城内本丸に一口稲荷社を勧請し祈祷すると姫の病が完治した。 長禄元年(1457)、大田姫稲荷大明神と改称。徳川家康の江戸城入城後、 社を城内西の丸の鬼門にあたる、神田駿河台東側に移築したが、慶應2年本郷春木町より出火した大火で社殿を焼失。 その後再建したが関東大震災で再び焼失、御神体のみを湯島天神に避難させた。 昭和6年(1931)総武線鉄道工事のため現在地に移転した。
 


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