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			伝承と伝統の民族文化遺産 | 
			
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			祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 | 
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	        太田姫稲荷神社 平成24年5月 (2年毎) | 
		 
	   
	
	
	
		
			
			神輿データ: 祭神:宇迦之御魂大神 台座:二尺五寸(77) 建造年度:昭和初期 製作者:不明  
			  特記: 延軒屋根・平屋台造りの小振りの神輿 前後の屋根に太田桔梗紋が三つ 側面は三巴紋  | 
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			美形の神輿が再度本郷通りへ出て小川町交差点を目指す太田桔梗紋の宮神輿 | 
		 
	   
	
	
	
		
		    
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			太田姫稲荷神社 '12.05.13.(日曜)  宮出し8時30分〜12時帰社  神社出立つ13時〜宮入17時30分 
			千代田区神田駿河台1丁目2-3
  
			
			日曜の静寂のビジネス街の鳥居前の広場がお神酒所で留守居役や接待係が休息にくる神輿を待っている。 | 
		 
		
		    | ビル街の鳥居前が緑陰を創る | 
			静かに佇む太田姫稲荷神社 | 
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			社伝によると、室町時代中期に太田道灌の娘が天然痘(疱瘡)に罹り、
			京都の一口稲荷神社(いもあらい)が天然痘に霊験があると聞き娘の回復を祈願したところ、天然痘が治癒したという。
			道灌はこのことに感謝し、長禄元年(1457年)に一口稲荷神社を勧請して旧江戸城内に稲荷神社を築いたとされる。 
			後に城内鬼門の聖橋南詰に祀られ、昭和6年に総武線御茶ノ水の鉄道工事のため、現在地の神田駿河台のほぼ中央に遷座した。 | 
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			神紋は太田道灌が用いた太田桔梗紋だが、印半纏は「丸に細桔梗紋」。
  
			
			稲荷神社であるが白狐の銜えたカギは豊作を祈る穀物蔵の鍵ではなく、
			一口稲荷のように太田道灌が築いた江戸城の鬼門、鬼の出入り口を守っていた鍵という意味合だとか。 | 
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			半纏に神紋の太田桔梗紋 | 
			江戸城の鬼門守る鍵咥える白狐 | 
		 
	   
	
	
	
		
			
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			| 路地中から渡御列が本郷通りに | 
			掛け声も威勢よく神輿揉みを | 
			靖国通りの小川町交差点目指す | 
		 
	   
	
	
	
		
			
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			| 見せ場の小川交差点に近づく | 
			交差点周回に気合の担ぎ手達 | 
			交通遮断した小川町交差点に進入 | 
		 
	   
	
	
		
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			午前は神社から靖国通り、神田橋、小川町交差点〜神社帰着。	
			休息後の午後は神社から猿楽町、お茶の水駅前、新お茶の水、神社宮入。
			町会は錦町一丁目、小川町二丁目南、駿河台東町会、駿河台西町会で、町会神輿はない。 | 
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			高張り提灯を中心に一周目の神輿揉み | 
			
			小川町交差点を悠然と二周目の周回そして差し上げの三周目へ | 
		 
	   
	
	
	
		
			
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			交通遮断して悠然と靖国通りと本郷通りの小川町交差点での3周回で差し上げ | 
		 
	   
	
	
	
		
			
			御茶ノ水の由来  慶長9年(1604)ごろ、今のJR中央線ホームの対岸に高林寺と呼ばれる禅寺があり、
			その寺の境内に水が湧き出ていた。徳川家康が鷹狩りの帰りにその湧き水を呑み、味がよいと気に入り、
			以降お茶の水の高林寺と茶をたてたところからこの名が付いたとされる。 
			地名はなく、それがやがてこの周辺をお茶の水と言うようになった始まりだと。 | 
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