歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 渡御は大拍子と横笛で城南担ぎの弓の名手の那須与一を称える太田神社
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    太田神社 平成22年5月 (毎年)

神輿データ:祭神:誉田別命 台座:二尺五寸(76) 建造年度:昭和50年 製作者:大工・横溝良作
      特記: 二之宮:胴と台輪が白木造りの勾欄造り 横棒6本 大拍子での城南担ぎ。
 

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旧市野倉町の狭い路地中を城南担ぎで渡御する太田神社の二之宮神輿

特徴あるかわら版。'10.05.16. 鳥居前の参道には夜店が並ぶ。'10.05.16. 石段登れば社殿。'10.05.16.
太田神社かわら版 狭い参道に連なる夜店と石段 小高い丘に建つ社殿

太田神社例大祭。'10.05.16.(日曜)二之宮渡御: 宮出し14時〜宮入18:30.
  05.15.(土曜)一之宮・二之宮渡御: 宮出し19時〜22時。
  05.14.(金曜)一之宮渡御: 宮出し20時〜22時。
  旧市野倉町の氏子区域での三日間にわたる例大祭です。
太田神社鎮座の年月は不詳ですが、文化・文政年代の「新編武蔵風土記」に太田神社のことが記載されている。 太田神社は古くは「八幡社」と呼ばれていて、明治初年に「太田神社」と改称さた。  大田区中央6-3-24(旧大森区市野倉町)
 

城南担ぎの調子取る撥と横笛。'10.05.16. 和む市野倉町の祭り。'10.05.16. 担ぎ手は横棒で城南担ぎに専念。'10.05.16.
城南担ぎの撥と横笛は途切れない 和気あいあいの氏子区域渡御 市倉が神輿舵取り引っ張り役

二之宮の渡御列は先頭をお囃子山車が池上囃子を奏で、 続いて辻つじでお祓いする大麻と祓主の神職二名、宮司、巫女二名、三つ巴紋社旗、那須与一紋幟、猿田彦、氏子総代が二之宮を先導です。  

旧道幅広のあたりや休息所。'10.05.16. 担ぎ手に差し上げ指示。'10.05.16. 差し上げも途切れぬ撥と横笛。'10.05.16.
幅広のあたりや休息所に 指揮者の差し上げろ指示 息を合わせて差し上げ前進

太田神社の氏子区域の旧市野倉町の渡御順路には古い路地が残されている。 しかし急に道幅広くなる所が休息所となっている。 旧池上道りは平間街道と言われ大化の改新ころからの古い東海道だったようで、その脇道も多くあったようです。
伝統と伝承の渡御ゆえこの道幅を古の過去から休息所として使用してきたのでしょう。
 

一之宮は建造年度:昭和25年。製作者は不明。'10.05.16. ゆったり一菊紋がなびく。'10.05.16.   太田神社の祭神は誉田別命(ほむたわけのみこと=) 応神天皇で皇室の先祖として祭られている神(=八幡大神は同一視)。 八幡大神は武芸の神・弓の神で神紋は「左三つ巴紋」。 太田神社の御神紋は「一菊紋」弓の名手の那須与一家の御紋でもあるのです。
金曜と土曜に渡御した一之宮 染め抜かれた三つ巴紋と一菊紋

那須与一宗高:嘉応元年(1169年)? - 没年不詳)は、平安時代末期の弓の名手で源氏方武将。 系図上は那須氏二代当主と伝えられる。父は那須資隆(太郎)。妻は新田義重の娘。 与一は十あまる一、つまり十一男をしめす通称である。 那須氏の居城神田城(現在の栃木県那須郡那珂川町)。 元暦2年(1185)の屋島の戦いでは、平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とすなど功績を挙げる。  

太田神社: 「北条分限帳」によると、当時の市野倉から六郷までを太田新六郎が所領していて、 太田新六郎の氏神だったため 「太田神社」と改称された説があります。また、太田道灌が江戸城築城の際、この地を候補地とし、 遊猟の折に検分したので、「太田神社」と改称された説もありますが、いずれも確証はありません。
なお大田区は合併した大森区と蒲田区からそれぞれ一文字ずつとった合成地名である。 江戸城主・太田道灌の領地だったことに由来して、区名になったという説があるが誤伝であるとか。
 

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