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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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太田神社 二之宮 平成23年 5月 (毎年) |
神輿データ:祭神:誉田別命 台座:二尺五寸(76) 建造年度:昭和50年 製作者:大工・横溝良作
特記: 二之宮:胴と台輪が白木造りの勾欄造りです 大拍子と篠笛での城南担ぎで渡御 |
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池上通りのお仮屋から城南担ぎの大拍子と篠笛の拍子に合わせて二之宮の渡御 |
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太田神社例大祭 復興祈願渡御。
大田区中央六丁目3番24
日時: '11.05.15.(日曜)
宮出し 13時半〜宮入17時半
お仮屋より出発
池上通りさわやか信金前。 |
南町会お神酒所横断幕 |
高台に建つ太田神社 |
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神社鎮座の年月は不詳ですが、文化・文政年代の「新編武蔵風土記」に太田神社のことが記載されている。
古くは「八幡社」と呼ばれ、明治初年に「太田神社」と改称。
氏子は二ヶ町で=太田神社氏子町の旧地名を掲げる。
旧池上通りを境に北側が「市野倉北町会」、南側が「市野倉南町会」。 |
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太田神社神紋一菊紋と社紋ともえ |
例大祭の巡行図 |
境内から望む参道鳥居前の屋台 |
かわら版の市倉代紋上下に、扇に赤日の丸、違鷹羽の矢羽。これは太田神社縁の那須与一宗隆が、
文治元年(1185)の屋島の戦で、平家の軍舟に掲げられた扇の的を、見事射落とした伝説に因んだものです。 |
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二之宮の宮入待つ神輿庫の一之宮 |
神職達も巡行隊列整える |
池上囃子に先導され二之宮出立 |
一之宮は化粧綱は白色で、神輿の胴の中央で強固に絞られます。
台輪寸法一尺八寸の白木神輿で、銅葺き延軒屋根の勾欄造りで、彩色が施された胴と、
三味線胴型台輪が特徴です。
一之宮は地元の神社役員や町会役員によって担がれるので、
担ぎ棒は横向きに組まれますが、大拍子は括り付けずに江戸前神輿の担ぎ方です。
今回は二之宮の宮入時に境内で連合担ぎです。 |
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ご接待に差し上げでご挨拶 |
先導する池上囃子を追う渡御 |
城南担ぎで路地中へ入り込む |
二之宮は太田神社の氏子青年団である市野倉睦を中心に、城南地区各睦会が担ぐ。
担ぎ棒は横に6本組まれ、神輿の胴の脇に大拍子が括り付けられ、大拍子と篠笛の拍子に合わせて、
「ちょいちょい」という独特の「城南担ぎ」で渡御する。
橙色の化粧綱で激しい城南担ぎに耐えるよう、頑丈に締められている。
昭和50年に横溝良作(地元大工)により製作された、台輪寸法二尺五寸の白木神輿で、
銅葺き延軒屋根の勾欄造りで、屋根に戴く大きな鳳凰が特徴です。 |
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激しい担ぎでたえず替わる担ぎ手 |
城南担ぎは熱気に包まれる |
大拍子と篠笛に合わす城南担ぎ |
大拍子と篠笛の拍子は「品川拍子」とも言われ、品川神社太々神楽の品川拍子から考案したものと伝えられています。
神輿を上げる際や下す際に演奏、比較的広い道や主要道路を渡御する際に演奏、
神輿が狭い道を渡御する際に演奏、神輿を差す際に演奏、神輿渡御が終了した際の御魂返しをする前に演奏の、5曲で構成されています。
編集者は城南担ぎの担ぎ手の熱気に圧倒され、曲目の違いに気付きませんでした。 |
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小刻みに激しく揉む女性達も向き合って慣れた足さばきで城南担ぎのご披露 |
市野倉(いちのくら)のほぼ中央を横断する「池上道」は、東海道の青物横丁から川崎大師(平間寺)に通じ、
「平間(ひらま)街道」とも呼ばれています。
川崎大師平間寺:
無実の罪で尾張の武士であった平間兼乗(ひらまかねのり)が追われて川崎に住みつき、
漁猟で一躰の木像を引き揚げてこの本尊を厄除弘法大師と称し、
大治3年(1128)一寺を建立し、兼乗の姓・平間をもって平間寺(へいけんじ)と号した。
これが大本山川崎大師平間寺(川崎市川崎区大師町4-48)の始まりです。 |
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