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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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東向島白鬚神社 平成22年 6月 (3年毎) |
神輿データ 祭神: 猿田彦大神 台座: 四尺三寸(129) 建造年度:嘉永元年
製作者:行徳・後藤直光 特記: 延軒屋根・平屋台造りの古神輿 彫金が見事 |
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朝日を浴びて地蔵坂通りを渡御する台座四尺三寸の本社神輿 |
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東向島白鬚神社例大祭。
'10.06.06.(日曜) 宮出し7時〜宮入19時。
祭神は珍しく猿田彦大神(天狗)です。
左の写真の中図子とは、図子(ずし=氏子組織で一種の部落名)と呼ばれる氏子で、
順路順に西、南、辰巳、八雲、六一、中、東、玉ノ井、巴、北、(西)堤図子の11氏子があります。
墨田区東向島3-5-2。 |
特徴あるPOP |
中図子の丁寧詳細なかわら版 |
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白鬚神社は、天暦5年(951)に慈恵大師が関東下向時に、白鬚大明神の御分霊(近江国比良山麓に鎮座する白鬚大明神)
を当地に祀ったと伝えられている。天正19年(1592)には、
時の将軍家より神領2石を寄進された格式高き神社です。
祭神が猿田彦大神なのは、天孫髣ユの際に道案内をした神話により、後世お客様を店に案内してくれる神としての信仰が生まれたから。
白鬚、白髭、この「ひげ」の漢字が違う神社が二通りあってややこしいのです。
葛飾区四つ木の白髭神社、この掲載ページの墨田区東向島の白鬚神社。区分は不明ですが滋賀総本宮は白鬚(白髭または白髯とも)書く。 |
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「あおり獅子」
金色に輝く大きな雌雄一対の獅子頭で、江戸時代末期に作られたものという。
雄・雌一対の獅子頭が陰の年に練り歩き、向島名物のひとつに数えられている。
大きいこと都内一でケヤキ材に布張り漆でかため、
金張りの見事なものであり一頭の重さが8貫目(30kg)もあるという。
例大祭当日はトラック屋根上に鎮座で観賞できず残念、引き台車で巡行してほしい。 |
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トラックに鎮座の獅子頭 |
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発御式終えて宮出しの神輿揉み |
渡御へ差し上げでご挨拶です |
緑陰の境内から参道石段へ宮出し |
神輿の前に揃いの裃袴姿の総代たちが並んで出輿式が行われる。
7時半、神楽殿でお囃子が始まり、木遣りが奉納されて木が入ると神輿が担ぎ上げられていよいよ宮出し。
担ぎ手は宮元の西図子の人たちだ。神輿はで嘉永元年に作られたもので、
古の祭礼の名残の屋根上に「拾参番」と書かれた駒札がついている。
これは旧寺島村内の白鬚、高木、長浦の三神社十三基の合同渡御順位の名残です。 |
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木遣棟梁が木遣り歌で宮神輿を先導 |
祭礼には欠かせない粋で鯔背な木遣棟梁達 |
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分霊社は全国に292神社あるが
東向島の白鬚は格式高き神社ゆえ、墨田区や台東区から木遣棟梁の祭礼参列者が多いのです。
宮出と宮入に参列する。
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旧墨堤(ぼくてい)の土手を渡御 |
湾曲の旧墨堤の地蔵尊前 |
四尺二寸の台座 |
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地蔵坂通りへ入り込み寺島目指す |
強い朝日浴び輝く宮神輿の渡御 |
白鬚神社は隅田川七福神の寿老神としても親しまれています。
白い鬚の老人の神様だろうからと、七福神の寿老人に見立てて「寿老神」として祀って「寿老人」を「寿老神」
と記している。隅田川七福神に限られたことだとか。
「向島」の地名の由来。 浅草の対岸にあたる隅田川東岸地域(墨東)や、
墨田区のうちでかつて向島区であった北部地域に対してだだっ広い向こうの島として呼称された。 |
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