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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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今戸神社 平成22年 6月 (3年毎) |
神輿データ: 祭神:應神天皇 台座:三尺五寸(106) 建造年度:平成3年
製作者:浅草・宮本重義 特記: 吹き返しを大きく立ち上げた延軒屋根・平屋台造り |
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今戸焼招き猫の招福を肖って鳥居前から今戸2丁目交差点までの50分の宮出し道中 |
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今戸神社大祭 '10.06.06.(日曜) 宮出し9時〜19時 注意車輌移動あり
台東区今戸1-5 |
権現造りの社殿 |
かわら版 |
今戸祭り提灯 |
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後冷泉天皇康平六年(1063)、時の奥羽鎮守府将軍伊豫守源頼義・義家父子が、
勅令によって奥州の朝威を軽んず夷賊安部貞任・
宗任の討伐の折、鎌倉の鶴ヶ岡と浅草今之津(現在の今戸)
とに京都の石清水八幡を勧請したのが、今戸八幡(現在の今戸神社)の創建と言われる。 |
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金棒・社旗・天狗・神職が先導 |
担ぎ手に人気の宮出し道中 |
担ぎ手が次々代わる |
氏子町会は今戸一丁目町会、今戸二丁目町会、今三町会、東一会、日本堤本町会の5町会で、
宮出しと宮入道中は神社鳥居前から今戸二丁目交差点の往路と復路を時間かけて行われる。 |
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駒札「本宮」掲げ宮出し道中 |
今戸二丁目交差点近づく宮出し道中 |
渡御路では今三町会から御旅所、日本堤本町会から東一会、
東一会から今戸一丁目町会への三か所はトラック移動です。 ご注意を。 |
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今戸焼発祥の地の碑が境内にあり、薩長軍の江戸入りに和泉橋から今戸八幡(今戸神社)
に移り肺の病を治療していた沖田総司の終焉之地の碑も建っている。 |
社殿に鎮座する今戸焼招き猫 |
今戸焼発祥の地の石碑 |
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今戸焼は、東京の今戸や橋場とその周辺(浅草の東北)で焼かれていた素焼の陶磁器。
日用雑器、茶道具、土人形、火鉢、植木鉢、瓦等を生産した。天正年間(1573〜1592)に生産が始まる。
他には墨田川焼・玉川焼・渋谷焼など江戸産の焼物もあった。
招き猫の登場は江戸時代で今戸焼が始まりだとか。「招き猫」は商売繁盛や招福への願いをこめ、
店先や玄関などに飾られるが、古代から神秘的な力を持つと考えられている。 |
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今戸の由来。 今戸は今津と同義で、橋場(古津)に対して「新しく開いた渡し場」と考えられている。
今戸の渡しは牛島(須崎)との渡船であった。 |
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