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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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今戸神社 大祭 平成25年06月 (3年毎) |
神輿データ: 祭神:應神天皇 台座:三尺五寸(106) 建造年度:平成3年 製作者:浅草・宮本重義
特記: 吹き返しを大きく立ち上げた延軒屋根・平屋台造り 注・渡御路車移動あり |
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境内で神輿揉みを繰り返しながら参道の鳥居から威勢の良い宮出しです |
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今戸神社大祭 '13.06.02.(日曜) 宮出し9時〜宮入18時半
鎮座950年祭で府中の御先払 御太鼓が宮神輿を先導する
今戸焼発祥の地で縁結び神社 東京都台東区今戸1-5 |
大祭POP |
今戸祭り提灯 |
今戸神社の権現造り社殿 |
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今戸神社は後冷泉天皇康平六年(1063)、京都の石清水八幡を勧請し、今戸八幡を創建。
昭和十二年に白山神社を合祀して、今戸神社と改称する。 |
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拝殿前から悠然と担ぎ出される宮神輿 |
拝殿参道から鳥居へと宮神輿を木遣が先導 |
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境内から参道鳥居下までの宮出し |
鳥居前今戸一丁目お神酒所前 |
観光地の浅草三社の北側の今戸神社は落ち着いた下町の大祭です。
今戸一丁目町会、今戸二丁目町会、今三町会、東一会、日本堤本町会の5町会です。 |
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鳥居前から今戸二丁目交差点までの宮出し道中へと担ぎ手達は既に気合十分 |
神社前道路での宮出し道中と宮入道中の各50分間は大祭の華。
途中で駐機して担ぎ手の交代でなく、担ぎ手が順次入れ替わりながら渡御していくのです。 |
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府中四谷の御先払の御太鼓が両面打ちでド〜ン |
金棒、猿田彦、神職、社旗、お囃子や神輿を先導 |
今戸神社は今年が鎮座九百五十年の節目の年。
老舗「宮本卯之助商店」の製造本部長は今戸神社の氏子町会で青年部長をも務める。
宮本卯之助平成22年建造の府中四谷の御太鼓が、そのご縁で約六十人がお祝いに駆け参じた。 |
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宮出し道中の脇を遠慮がちに観光バスが警察官の指示で追いすぎて行く |
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今戸二丁目神酒社手前で大きく右へ振れる宮神輿 |
神輿態勢立て直して今戸二丁目神酒社へと前進 |
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今戸二丁目神酒社手前の宮出し道中はまだ半ばのなのに担ぎ手達は高揚 |
宮神輿の駒札は「本宮」を掲げるが、本来元宮や奥宮など重要な神社への呼称だが、
今戸神社では御祭神本殿よりも、神輿への鎮座を重要としたのだろうか。 |
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拝殿に飾られた奉納された大きい招き猫。
横に奉納された日本酒の一升瓶が小さく見える。
手前中央に鎮座するのは浅草名所(などころ)七福神の福禄寿だがやはり小さく見える。
浅草名所七福神は江戸時代末期に始まり、
正月松の内(元旦〜七日)に七福神を巡拝して一年の福徳を願う七福神詣は、
戦後の混乱期には一時中断したが昭和52年(1977)に復活した。 |
今戸地名の由来: 小田原衆所領役帳に江戸石浜今津とある。今戸は始めは今津と書き、江戸時代以前からあった地名。
今津とは新しい港と云う意味で、石浜の港に次いで新しく出来た港だった。
今津を今戸に改めた理由と年代は不明。 |
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