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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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尾久八幡神社 平成22年8月 (隔年) |
神輿データ:祭神: 應神天皇 台座:三尺二寸(97) 建造年度:昭和5年 製作者: 不明
特記: 大振りの延軒屋根 五段の龍頭の桝組 本祭(H24年):土曜(渡御)・日曜(神幸祭) |
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大勢の警備員に守られた尾久八幡神社の宮神輿の横を都電が通り過ぎる |
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尾久八幡 中祭 '10.08.07.(土曜) 宮出14時〜夕刻
荒川区西尾久 3-7-3 都電宮ノ前駅前 |
尾久八幡に集結する氏子衆 |
炎天下に鳥居と対峙する宮神輿 |
簡素なPOP |
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尾久八幡神社は旧村社で、創建の年月は不詳ですが、鎌倉時代末期の正和元年(1312)に、
尾久の地が鎌倉の鶴岡八幡宮に寄進された頃に遡ると考えられている。
神社に残っている最古の棟札に至徳2年(1385)社殿が再建と記されている。
尾久の総鎮守として応神天皇と末社の神々を祀り、農工商の神様として地域の人々に親しまれ、
又、学業成就、交通安全、商売繁盛、除災招福、病気平癒、金運などの御利益があるとされる。 |
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鳥居前での渡御の神事 |
宮出しのため神輿の向き返る |
本殿前での神輿揉み |
鳥居前でのお祓い、祝詞奏上、玉串奉奠、発御式が終わると今まで鳥居の方を向いていた神輿を本殿に向け直して、
木遣りの一節が高らかに謡われると直後に、鳶棟梁の木が入り神輿が上がる。 |
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花笠を被り正装の氏子役員達 |
神社鳥居前から神社前通りへの渡御 |
真夏の空に氏子達は白地に赤紋の揃いの半纏に、花をあしらった笠を被り白衣に空色の袴で正装した役員達、
伝承してきた仕来たり重んじる祭礼です。
しかし此の祭礼規模での警備員の多さに驚かされました。分かりました都電接触防止の警備です。
神輿渡御の真横を都電がすり抜けるからです。 |
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炎天下の渡御列を先導するのは正装した稚児 |
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祭礼化粧した稚児が渡御列を先導 |
お囃子、社旗、高張提灯、氏子役員、神職、宮神輿と |
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宮神輿を都電が追い越す |
クラッシック車輛 |
都電が頻繁に通り過ぎる |
4年に一度の本祭の土曜は神輿の渡御。
日曜日は神幸祭の巡行で、馬や山車や御輿の行列が尾久の地域をねり歩く。
氏子地区広く、午前は西尾久・小台方面、午後は東尾久・町屋方面。因みに境内横には氏子神輿庫が13棟ある。
中祭は土曜の神輿渡御のみで、
渡御順路は八幡神社前→都電通り→熊野前→都電通り→小台通り→八幡神社宮入。 |
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尾久の由来 地名は「おぐ」、小具とも奥とも書いて「おく」とも読む。
北区昭和町にある戸籍上東北線、実質高崎線・宇都宮線の尾久駅は「おく」と表記している、
尾久の名は『小田原衆所領役帳』(永禄二年(1559)作成)には既に見え、地名の由来は豊島郡の「奥」
に開けたことによるとの伝承があるが何に対して奥なのか判らない。
「江戸の奥」だというが・ |
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旧形車両と最新車輛 |
宮ノ前駅から小台方面の架線 |
都電荒川線:
東京都交通局を事業主体として、東京都荒川区三ノ輪橋駅から同新宿区早稲田駅までの
線区において営業を行う路面電車(東京都電車、通称都電)である。
開業明治44年。路線総延長 12.2 km 。時速13kでのんびり走る。 |
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