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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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千住神社 平成22年 9月 (5年毎・二之宮は毎年) |
神輿データ:祭神: 宇迦之御魂命 台座:四尺五寸(123) 建造年度:文久3年 製作者: 不明
特記: 一之宮: 延軒屋根 平屋台造り 蕨手が大きい大神輿
明治18年建造の二之宮は毎年単基で北千住の駅前お旅所まで渡御する |
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千住神社文久三年の一之宮神輿の前後左右に多くの担ぎ手引き連れての中居町会の渡御 |
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千住神社大祭
'10.09.12.(日曜)
宮出し8時〜
宮入16時
足立区千住 宮元町24-1 |
足立郷社うたう |
長い参道と広い境内さすが郷社 |
どっしり構える拝殿 |
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千住(千寿)に集落が形成され始めた、延長四年(926)土地鎮護と五穀豊饒を祈って、
伏見稲荷より分霊を勧請し、稲荷神社を創立した。
永承六年(1051) 源義家は奥州征伐の際、荒川(現千住大橋付近)を渡り二ツ森(現千住神社)に陣営し、
神前に戦勝を祈願したと、古記録に記載されている。
更に弘安二年(1279)に武蔵国、一の宮氷川神社の御分霊を勧請し、氷川神社を創立した。
寛永年間に至って千住が日光街道の第一宿となり、神社はその西方にある為に西の森と云われた。 |
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隅田川沿い緑町渡御の祭列 |
墨堤通り緑町を渡御 |
墨堤通りの唐破風の緑湯 |
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宮神輿引渡し見守る氏子役員 |
神輿に負けず大型御幣振りかざす |
緑町会の渡御渡しの担ぎ止め |
本格的な渡御列を組む。先導の神職は白馬に騎乗、鉄棒、猿田彦、辻払い神職、舞姫、囃子屋台、
宮神輿、社旗、殿の朱傘宮司は黒馬に騎乗。多くの白丁烏帽子が雑務担当。
さすがは足立郷社、渡御列が定刻通りに来ました。
千住神社の千貫神輿が北千住西口駅前ロータリーに入り込み14時から30分間の神輿揉み御披露です。 |
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二丁目町会が引受け担ぎ |
北千住ロータリーに入り込む |
疲労困憊か差し上げ息合わず |
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大群衆の怒涛のごとき歓声と手拍子が北千住駅前ロータリーに響き渡る |
千住にある各氷川神社が同時に例大祭開催は20年ぶりです。
○ 大川町氷川神社 4年毎。 ○ 千住氷川神社(四丁目) 五年毎。
○ 千住本氷川神社(三丁目)五年毎。○ 千住神社 五年毎。
○ 仲町氷川神社 五年毎。 |
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北千住。
後鳥羽天皇の建久年間(1190〜98)には源頼朝が奥州方面の防備として関所を設けたこともあるから、すでに集落があった。
千住の名がつく以前のこの辺りの名称は判らない。鎌倉道の奥州道が通っていたのだから地名はあっただろう。
千住は千寿とも書くが由来は幾つかある。
千葉一族が移り住んで「千葉氏が住む村」と呼んだのが村名化した。
この地で生まれた足利幕府8代将軍義政の「愛妾千寿」に因む等々。
日光に東照宮が造営されると寛永二年(1625)には日光道中が整備されて千住村が初駅と定められ「千住宿」となった。 |
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