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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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高輪神社 平成20年9月 (3年毎) |
神輿データ: 祭神:宇迦之魂神 台座:三尺五寸(107) 建造年度:大正5年 (1916)
製作者:神田・宮惣 黒色延軒屋根 四方桟唐戸 平屋台造り H19年に大修理。 |
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江戸御輿をこよなく愛する者たちを魅了する精悍な黒色延軒屋根の古神輿 |
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高輪神社大祭
'08.09.07.(日曜) 宮出し12時〜17時半
氏子祭りポスターは高輪神社の宮神輿に、白木作りの神輿が併記されている。
氏子区域が同一の丸山神社の宮神輿なのでしょうか。それとも町会神輿なのか。
石鳥居は寛文七年(1667)大削りの素朴な狛犬は宝永六年(1709)の建造。
共に大火を潜りぬけてきた。
東京都港区高輪2-14-18 。
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高輪神社と丸山 |
高輪の高台に建つ社殿 |
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高輪神社: 明応年間(1492〜1501)に稲荷神社として創建された。
古来高輪ケ原と称えた高輪一円の総鎮守。弘化2年(1845)の大火で類焼し石門、
石大鳥居等を残し全て焼失した。
昭和4年(1929)社名を稲荷神社より高輪神社に改称。
素朴な狛犬を従える現在の社殿は昭和55年(1980)に造営。
氏子区域は旧高輪北町、同台町、二本榎一、二丁目、同本町、
同西町の六ケ町で現在住居表示の高輪一、二、三丁目です。
丸山神社: 江戸城下の整備により、愛宕から承応12年(1653)
現在地の高輪1丁目22に移転。氏子区域が同一で例祭日も同日のための共同ポスター掲示と思われる。 |
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二本榎高輪消防署から下っての休息所から第一京浜国道への渡御再開です。
国道に出れば高輪神社への宮入は真近かです。
美形の高い石垣に囲まれた静寂のお屋敷街を第一京浜へと下ります。 |
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精悍漂う黒漆塗り屋根の宮神輿 |
遠雷に負けず頭が木を入れる |
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高輪台から旧海岸沿いにできた第一京浜国道の高輪2丁目を目指して急な坂(桂坂)を下って行きます。
掛け声の喧騒の中、頭の坂道での担ぎ指示も的確に担ぎ手達に伝わり、やっと神輿は平行を保ち渡御します。
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担ぎ出すも急坂ゆえ神輿は傾く |
鼻棒は高めに殿は腰低めに担ぐ |
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上空にはゲリラ豪雨の急変の暗雲立ち込め稲妻走る中、
精悍な黒屋根の三つ巴紋が雷に反射しながらも、
稲妻に立ち向かうが如く宮入に前進し続けます。 |
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高輪: 港区高輪の二本榎通りは小高い丘陵の尾根道です。
戦国時代には海から眺めると道が高所で南北一直線に張った縄のように見えたため、
この辺を「高縄」と呼び、転じて高輪となる。徳川家康が入府したのも二本榎通りだとか。
近くの急坂である桂坂の第一京浜(国道15号)入口には、江戸時代の高輪海岸の石垣石が発掘され、
当時は第一京浜が海岸線であった証をしめす。 |
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