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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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阿伎留神社 (五日市祭) 平成20年9月 (毎年 定日28.29.30日) |
神輿データ:祭神: 大物主命 台座:五尺(152) 建造年度:昭和56年 製作者:栃木・小川政次
台座は正方形で胴と屋根は六角形 平屋台造り 担いで渡御する台座五尺は東京一の大神輿 |
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台座五尺は東京一の六角大神輿ですが氏子地区の畦道が狭く驚異の二天棒で担ぐ |
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阿伎留神社例大祭
'08.09.28.の宮出し〜30.の宮入まで定日に毎年桧原街道御旅所で開催され、
あきる野市五日市の最大の秋祭り。
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五日市祭 |
鬱蒼とした鎮守の杜の阿伎留 |
桧原街道御旅所に鎮座の六角神輿 |
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創立起源不詳 平安時代に書かれた延喜式神名帳で阿伎留神社は武蔵国多摩郡八座の筆頭にあげられるほど、
有名な古社で武将の信仰も広く 藤原秀郷は平将門征討に際し戦勝祈願し、
鎌倉時代以降も源頼朝、足利尊氏、後北条氏も夫々社領を寄進した。
徳川家康も江戸入府の翌年武蔵国多西郡秋留郷松原の内で十石の土地を寄進した。
社殿は天保元年の五日市大火に類焼し本殿拝殿付属殿舎尽く焼失した。
そこで幕府に請うて江戸府中武蔵一国の勧化許可を受け資金資材の準備を進めたが建設までには至らず、
明治21年にやっと現本殿拝殿の再建がされた。 東京都あきる野市五日市1081。 |
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郷土玩具色の強い獅子頭です。
無形民俗文化財 郷土芸能の五日市入野獅子舞に使われる黒角を持つ雄に挟まれた雌の獅子。
御旅所で宮神輿と共に鎮座して奉納舞の出番を待っています。 |
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奉納獅子舞 |
角ある雄獅子と挟まれる雌獅子とが御旅所で鎮座 |
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牡丹花笠とお亀ひょっとこと三頭の獅子による奉納獅子舞 |
曲目で激しい舞もある |
阿伎留神社の大祭はいつも9月の28・29・30日の三日間で桧原街道の両脇には露天が約150軒以上立ち並び、
28日宮出し18時から御旅所へ、29日御旅所13時からの渡御と18時からの巡行、
30日は御旅所18時から21時の宮入です。
宮神輿の渡御に先立ち、紅色衣装に身を包んだ4人の少女の牡丹花笠とお亀とひょっとこと三頭の獅子による
五日市入野の獅子舞が奉納されます。
旧本社神輿(渡御神輿と同型)は明治初期建造で痛み激しく神輿庫に鎮座したままです。
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御旅所から桧原街道へ担ぎ出し |
屋根胴が六角で台座は四角形 |
路地に入り込み氏子廻りの渡御 |
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小枝押し上げての渡御 |
阿伎留神社鳥居前からの渡御 |
路地から桧原街道へ次の氏子地区へ |
台座5尺の六角大神輿であるが氏子地区内の路地幅が狭く直角路もあり、
短い二天棒で担がれるために、神輿支えの台座持ちが十数人付く。
伝承と伝統を重んじ6町会の選抜された男子精鋭の担ぎ手達による渡御です。 |
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阿伎留神社の名称について。
阿伎留・畦切・秋留と三様に書くが皆「あきる」と読む。
正式には延喜式に載るとおり阿伎留神社である。
また鎮座地により松原大明神とも称し江戸時代中期一時春日大明神と呼ばれた事もある。
通称は松原さまである。 |
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