歴史の浪漫街道  お江戸の神輿 祭り衣装で決める先導役の子達と異様に広い屋根の神輿の久我山稲荷神社
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


     久我山稲荷神社 平成20年10月 (毎年)

神輿データ:祭神: 保食命 台座:二尺四寸(74) 建造年度:昭和29年 (1954)
  製作者:行徳・浅子周慶 唐破風軒屋根 蕨手は鯉の瀧登りを取り付ける 勾欄造り
 

久我山稲荷は照明付き。08.10.05.
屋根が異様に広い宮神輿は、担ぎ棒四隅に照明装置を取り付けての渡御

搭載照明照らす宮入。08.10.05. 屋台の売り声と祭囃子が流れる境内。08.10.05.   久我山稲荷神社例大祭。
'08.10.05.(日曜)宮出し11時〜夕刻
 土曜は宮出し13時半〜夕刻
 土曜、日曜共に氏子区域の渡御を行う
創建の由来について詳かではなく、古来からの久我山村の鎮守。祭神は保食命(うけもちのみこと)
東京都杉並区久我山3丁目37番14号
照明が点け宮入 例大祭でも静かに宮入まつ社殿

久我山稲荷神社の渡御路は居住密集地を縦横に横断するゆえ、主要道も路地も道幅が狭いのに交通量は多く、 担ぎ手達は右棒は肩を入れ替えて内側で担ぐ。
  4日(土曜)久我山4〜5丁目を渡御。宮出し13:30〜18:30。
  5日(日曜)久我山1〜3丁目を渡御。宮出し11:00〜17:30。
 

渡御を待つ宮神輿。08.10.05. 祭礼行列先頭は子達の鉄棒・幟の先払い。08.10.05. いざと気合入れての担ぎ手達。08.10.05.
胴や台座に比べ幅広い屋根 地下足袋が様になっている先導役 休息終え神社へ向け渡御再開

宮神輿は昭和58年7月に修復修理を行徳の浅子周慶で行っている。 胴や台座と比較して蕨手を伸ばした屋根が広く、台座寸法以上に大きく見える神輿です。
祭礼行列の主役は子供達です。先払い先導役の金棒や幟を持った、 祭り衣装に身を包んだ子達は様になっている。 子等達がひく引き太鼓そして宮神輿と続く。
 

写真を拡大して観察して下さい。台座の上に組まれた神輿の胴の細さに比べて、異様にだだ広い屋根です。 飾り紐が無ければ屋根は崩れんばかりです。   神輿屋根のアンバランスな大きさ。08.10.05. 気を引き締める担ぎ手達。08.10.05.
胴の細さに比べて異様に広い屋根 宮入に向けての渡御に担ぎ手達気合が入る

久我山の地名由来。  「くが」は空閑または陸で空地。だから「新開地」のことと考えられている。 古くからの地名で、玉川上水と神田上水の間の起伏が続く区域だが、久我山という山はない。
利用してない森林があったのだろう。 村内の小名札の野は原野開発の高札場で「農業を営もうとする者は重罪人でも許す」 旨の高札が立ててあったとか。要するに未開の地だったのです。
 


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