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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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寶田恵比寿神社 平成20年10月 (毎年定日) |
神輿データ:祭神: 宇迦之御魂命 台座:一尺九寸(58)建造年度:昭和27年 (1952)
製作者:日本橋本町・関徳 唐破風軒屋根 胴羽目に恵比寿を掲げた小神輿です |
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宝田恵比寿神社。(べったら市)
’08.10.19日(べったら市)
〜20日(恵比寿講)定日開催。
神輿宮出し恵比寿講の夕刻より。
東京都中央区日本橋本町3-10-11. |
べったら市のPOP |
境内も参道も持たない寶田恵比寿神社 |
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「べったら市」は、江戸中期の中ごろから、宝田恵比寿神社の門前で10月20日の恵比寿講
(商家で恵比須をまつり、親類・知人を招いて祝う行事)にお供えするため、
前日の19日に市が立ち魚や野菜、神棚などが売られるようになったのがその起源。
浅漬け大根のべったら漬け(塩と糠で下漬けをし、麹と砂糖などで漬けた大根)
がよく売れたことから「べったら市」と呼ばれる。
大伝馬町界隈で様々な露店(約300から400件)が軒を連ね、多くの人が集まります。
夜は提灯が灯り、さらにお祭りムードに。恵比寿講には宝田恵比寿の宮神輿の渡御で粋な祭りとなる。 |
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鳥居無ければ何処かの夜店かと |
左右に小屋作り社務所代わりに |
仮テント下の銅葺き庇が神社の証 |
宝田神社は慶長十一年(1606)江戸城外宝田村の鎮守様でした。
徳川家康が江戸城拡張により宝田、祝田、千代田の三ヶ村(現在皇居内楓山付近)の転居を命じ、
馬込勘解由(かげゆ)と云う者が宝田村の鎮守様と、住民を引卒して此の地に集団移転をする。
馬込勘解由と云う人は家康が入府の時、三河の国から随行して、此の大業を成し遂げられた功に依り、
徳川家繁栄祈念の恵比寿を授け賜ったので、平穏守護の御神体として宝田神社に安置したのが今日に至る。
恵比寿作者は鎌倉時代の名匠運慶の作と伝えられている。 |
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多くの夜店と奉納提灯に囲まれた神社を、
神社前の駐機場からべったら市の人出と喧騒をじっと見つめて鎮座する宮神輿と子供神輿。
神輿の渡御は19日の日曜だと取材に出向きましたが担ぎ手は何処にも居らず、
20日の恵比寿講の夕刻から担がれるとの氏子役員の説明で納得。 |
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出番を待つ小振りの宮神輿 |
恵比寿の鯛が胴に跳ねる |
物の本によれば神輿の製作者は日本橋本町・関徳と記載されている。
駐機場の駒札「寶田神社」の宮神輿の何故か後背に取り付けられた作札を見れば神輿師 十六代 浅子周慶 市川市本行徳。
これは修理修復の作札なのだろうか。 |
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