|
伝承と伝統の民族文化遺産 |
|
|
祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
|
|
|
|
荻窪白山神社 平成23年 9月 (毎年・定日) |
神輿データ: 祭神:伊邪那美命 台座:二尺五寸(76) 建造年度:昭和3年 製作者:後藤直光
特記: 延軒屋根 胴や台座の木彫が自慢の勾欄造り 二尺の女神輿が萩五神酒所から連合 |
|
|
平日の炎天下に白い印半纏が映える担ぎ手達が本社神輿担ぐこの熱気 |
|
|
|
平日ゆえ参拝者がいなく長閑 |
コンクリート創りの白山神社 |
金色に輝く白山神社社額 |
荻窪白山神社例大祭。 日時'11.09.07.(毎年定日)。
宮出し10:35〜宮入18:00。 杉並区上荻1-21-7 。
白山神社は加賀の霊峰白山を御神体とする山岳信仰により、関東管領上杉顕定の家臣中田加賀守が、
文明年間(1469〜87)に荻窪の屋敷内に五社権現社を奉ったのに始まり五社権現とも称された。
なお山岳信仰で白山修験(山伏)は、熊野修験に次ぐ勢力であったとされる。 |
|
|
|
|
連合渡御の御神酒所へジワリ進む |
熱気の担ぎに拍子木が入る |
本社神輿自慢の木彫り |
本社神輿は昭和32年建造の曳き太鼓、お囃子山車、ジープに乗った宮司に先導されて、
延軒屋根に掲げた駒札は白木板で「本社神輿」。
台座は2尺5寸(市川行徳関ヶ島後藤直光作)の木彫を引き立てる。 |
|
|
|
|
連合渡御発進の萩五お神酒所 |
ジープで到着の宮司に拍手喝采 |
休息時も太鼓試し打ちは続く |
本社神輿と女神輿の連合渡御は、
荻窪駅南口仲通り商店街の萩五御神酒所(西武信用金庫南口支店横)よりの発進です。 |
|
|
|
|
宮司が無事故渡御のお祓い |
大地神ゆえしゃがみ込んで担ぎ出し |
笛と拍子木に黄色い声で担出し |
祭神の伊邪那美命
(いざなみのみこと=万物を生み出す女神)は日本神話の女神で、
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の妻である。
伊邪那美命と伊邪那岐は、神話のなかに一番最初に出てくる夫婦神である。
また伊邪那美は多くの大地を創った大地母神的な性格の女神である。 |
|
|
|
|
珍しいジープ乗車で先導の宮司 |
薙刀振りかざし女神輿の露払い |
女神輿は賑やかな掛け声と笑顔 |
白山神社の祭神の女神である伊邪那美命にちなんでの女神輿は台車2尺
(元浅草十三代目南部屋五郎右ヱ門作)唐破風屋根の漆塗りの駒札は「白山神社」。
衣装は黒足袋、股引パッチ、赤い印半纏となかなか粋です。 |
|
|
|
気合入れ鼓舞しあって息の合った担ぎ |
女神輿の後ろの本社神輿も狂喜乱舞です |
|
女神輿にアジア人も加わった賑やかな女性軍団の息もあった熱気の担ぎ |
荻窪地名の由来:
荻窪という地名の由来は、この地を訪れた旅人が辺に自生していた荻を刈り取って草堂を造り、
観音像を安置し荻堂(おぎどう)と名付けたことと、周辺の地形が窪地であったことによると伝えられる。
荻堂のあった場所は、現在では慈雲山荻寺光明院という寺になっている。
荻窪は、大正から昭和初期にかけて東京近郊の別荘地として西の鎌倉、東の荻窪と称され憧れの的だった。 |
|
|