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			伝承と伝統の民族文化遺産 | 
			
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			祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 | 
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	        椙森神社大祭  平成24年5月 昨年順延 (3年毎) | 
		 
	   
	
	
	
		
			
			神輿データ: 祭神:恵比寿大神 台座:三尺五寸(106) 建造年度:昭和6年 製作者:蔵前・大倉  
			   特記: 錺金具は超厚板の浮き彫りで桟唐戸や欄間は彫金等で贅凝らして見事な神輿  | 
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			浴衣襷がけ姿の氏子役員による宮出しは想像以上の激しい担ぎでご高齢役員は随行役に | 
		 
	   
	
	
	
		
			
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			椙森神社大祭 '12.05.11.(金曜) 宮出し9時20分〜宮入17時
  
			
			ビジネス街のため毎回平日の11日(金)の渡御。前年例大祭は地震のために今年に順延。 中央区日本橋堀留町1-10-2 
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			| 簡素な神社POP | 
			お膝元の堀留町 | 
			昭和6年鉄筋造り建造の社殿 | 
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			創建は平安時代の天慶三年(940)田原藤太秀郷(後に藤原秀郷)が、
			平将門の乱を鎮定して願望成就の報賽として、白銀の狐像を奉納した。と社伝に記載されている (現存するとか)。 
			江戸時代には、江戸三森(椙森、柳森、烏森)の一つに数えられ恵比壽大神を祀り、
			しばしば江戸城下等の火災で再建の費用のために、
			商業の地として栄えた土地がら、有力寺社で富興行が行われ江戸三富の一つにも数えられる程であった。
			大正9年に富塚が建てられ、言わば「宝くじ」の元祖の神社。境内に建つ現在の富塚は昭和28年に再建された。 | 
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			江戸三富の一つの椙森富塚 | 
		 
	   
	
	
	
		
			
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			| 境内で厳かな宮出し神事 | 
			狭い鳥居からの宮出し | 
			神社前から激しい神輿揉み | 
		 
	   
	
	
	
		
			
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			| 浴衣襷がけ姿の役員の担ぎ | 
			30分近く担ぐとても氏子役員の担ぎとは思えぬこのパワー | 
		 
	   
	
	
	
		
			
			宮出しから芳町通りの引継ぎ所まで神輿は役員がゆったりと担ぐと聞き及んでいたが、
			激しく担ぐので近隣からの応援も交じって居るようです。 
			宮神輿は神社の一千年祭を記念して昭和6年に建造、総体350貫(約1.4t)、
			鳳凰は16貫(60kg)、胴回り錺金具は厚板浮き彫りです。 | 
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			| 町会渡しで胴に晒を巻きつける | 
			四方に晒横紐を取り付けられて | 
			全ての瓔珞外して前部は注連縄に | 
		 
	   
	
	
	
		
			
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			| 人形町交差点からイザ氏子渡御へ | 
			羽織袴姿に菖蒲笠さすが日本橋 | 
			若い担ぎ手は氏子企業の社員か | 
		 
	   
	
	
	
		
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			芳町通りで人形町1丁目「芳人町会」に第1回の引継ぎが行われ、ここで胴に白布が巻かれ、
			瓔珞を取り外し注連縄が張られる。役員担ぎから激しい神輿担ぎの氏子のためでしょう。
			そして人形町、堀留町の氏子地域を渡御していく。 | 
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			| 大観音寺の住職により出立つの木が打たれる | 
			人形町一丁目を引渡しを繰り返し隅々まで渡御 | 
		 
	   
	
	
	
	
		
			
			水天宮通りの少し下がった小さな大観音寺。
			(金龍山浅草寺の末寺:中央区日本橋人形町1-18) 
			明治維新まで続いた神仏習合の名残りなのでしょうか。 
			大観音寺山門の石段で担ぎ手の記念撮影と、僧侶が出立つの木を叩くのです。 | 
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			水天宮通りの大観音寺山門石段下での神様が仏様を渡御参拝するのは神仏習合の仕来たりなのか珍しい | 
		 
	   
	
	
	
		
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			日本橋堀留の由来: 石神井川の名残の東・西堀留川の堀留の位置に開いた町を堀留町とした。
			堀留は堀の奥で行きどまっている意。川を断ち切ったところが多い。
			江戸は洪水に見舞われるので平川も、小石川も、愛染川も外濠(神田川)で断ち切って隅田川におとした。
			町の起立は判らないが川を断ち切って堀留とした江戸初期だろう。
			堀跡の一部が現在堀留児童公園になっている。 | 
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