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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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日本橋 椙森神社 平成27年5月 (3年毎) |
神輿データ: 祭神:恵比寿大神 台座:三尺五寸(106) 建造年度:昭和6年 製作者:蔵前・大倉
特記: 錺金具は超厚板の浮き彫りで桟唐戸や欄間は彫金等で贅凝らして見事な神輿 氏子町会渡御は胴に晒巻く |
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神輿を沈めたが御神酒所での町会神事を受けるべく人形町三丁目西町会の気迫の担ぎ |
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椙森(すぎのもり)神社 '15.05.15.(金曜) 宮出し 9:20〜17:00 中央区日本橋 堀留町1丁目10-2
江戸時代には江戸三森(椙森、柳森、烏森)の一社であり、また富興行が開かれ冨塚の碑が建つ。 |
椙森神社大祭と町会POP |
堀留町一丁目町会 |
ビルに囲まれた椙森神社の社殿 |
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かつては椙之森稲荷及五社大明神とも称し、「江戸名所図会」には広大な境内地を描いた挿絵が載っているほどの大社で、
常に大勢の人が集まる所だったので、江戸時代には相撲興行や富くじ興行が行われていた。
湯島天神、谷中感応寺、椙森神社が「江戸の三富」と称される程で、
寺社奉行立会いの下で富くじが盛んに行われて繁華な賑わいを呈していた。
また商業の中心地ゆえに商売繁盛の神様である恵比寿大神が祀られている。 |
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静寂な境内での1084年祭渡御の厳かな式典 |
襷掛け浴衣衣装の神社役員のみで鳥居を潜り宮出し |
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宮出しは瓔珞を付けて若手達に負けるなと神社役員だけでの引渡し神酒所まで30分間の担ぎ |
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人形町一丁目に入り込み水天宮通りを目指す |
引渡し御神酒所はもうすぐだ我慢だ!頑張れ |
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神社役員による宮出し渡御が水天宮通りの大観音引渡しの芳人町会御神酒所へ到達です |
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水天宮通りで町会渡御の神輿整備で瓔珞外し胴に晒巻く「は」組 |
人形町一丁目芳人町会の担ぎで町会役員が拍子木 |
氏子町会は人形町一丁目芳人(よしにん)町会、人形町三丁目西町会、堀留町一丁目町会の三町会です。
白丁に守られた社名旗、太鼓、榊、猿田彦、錦旗、木遣りに先導され神輿渡御が始まる。
ワッショイわっしょい オイサ!オイサの掛け声がビル街に響く。 |
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町会地区内を縦横に隈なく渡御する人形町一丁目芳人(よしにん)町会 |
各地の祭礼の神輿渡御日は主体の氏子衆が参加できる日曜日が大半なのです。が、
椙森神社の周辺はビジネスビルが建ち並ぶ街中にあり、
日曜日では地元の氏子衆の担ぎ手だけでは神輿が担げず、ビジネス街の社員達が戦力なので平日なのです。 |
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三丁目西町会が人形町3丁目のレンタルボックス前で宮神輿を肩から外し落下を必死に食い止める |
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担ぎ手の体勢整え四天棒を肩に載せ直して人形町三丁目西町会の御神酒所へと喘ぎながらの担ぎ |
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人形町三丁目西町会の御神酒所前での町会神酒所神事に参加者全員が頭垂れる |
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人形町三丁目西町会が神事終えて町会渡御を再開して堀留町一丁目お神酒所を目指す |
人形町の地名の由来: 寛永十一年(1635)この地域に中村座、市村座の江戸歌舞伎二座がこの地に開場し、
その2座を中心に人形浄瑠璃や芝居小屋が多く集まり、
芝居町として栄え、古地図にも描かれている俗称の「人形通り」が町名の起こりとか。
また江戸時代初期に創られた歴史ある街で人形師が周辺に多く住み、のちには人形を造る人形師達により
「人形市」が立つようになったともいわれている。 |
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