|
伝承と伝統の民族文化遺産 |
|
|
祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
|
|
|
|
花畑大鷲(おおとり)神社 平成24年10月 (酉の年・今回より6年毎) |
神輿データ: 祭神: 日本武尊 台座:四尺二寸(128) 建造年度:江戸後期 製作者: 不明
特記: 蕨手が軒下から出した勾配の緩い延軒屋根 平屋台造りの大神輿 元祖酉の町の大祭 |
|
|
屋根にシートを被せた宮神輿を雨に打たれながらも熱気で担ぐ担ぎ手達 |
|
|
|
|
花畑大鷲神社 '12.10.07(日曜) 宮出し 7時 宮入 18時 「酉の市」発祥の神社と称される 足立区花畑 7丁目16-8
|
縦長POP |
静かに佇む鳥居 |
小雨に煙る静寂の社殿 |
|
|
創建年代は不詳であるが、日本武尊の東国平定の偉業を称え報恩感謝の意を込めて、本陣のあった当地「花又」に創建。
開運守護の神として信仰篤く、新羅三郎義光が、兄の八幡太郎義家の援軍として後三年の役(永保3年・1083)に赴く折、
戦勝を祈願し、凱旋の折、神恩に謝し兜を寄進する。
「月丸に五本骨扇」は、奥州征伐の際、源頼朝が佐竹秀義に与えたのが始まりといわれ、
扇には神が宿り末広がりである事から縁起のよい神紋とされる。
東武伊勢崎線・谷塚駅(やつか) 東武バス花畑桑袋団地行 |
|
|
|
|
拝殿の月丸に五本骨扇の賽銭箱 |
|
|
|
祭礼行列を神職が辻祓いし先導 |
氏子総代の後に猿田彦と社旗 |
騎乗宮司と囃子山車の後に神輿 |
12年に1度の酉年に大鷲神社の大祭があり、神輿を担ぐ。
前回の大祭は平成17年(2005)。周期12年毎は長いと6年目を予定したが、
東北大震災のため祭り自粛で順延して平成24年に渡御となった。次回は酉年が大祭年です。 |
|
|
|
雨傘を引き連れて会組町会の担ぎ |
雨が降り止まぬ中を仲組三町会の担ぎ |
|
小雨降る中を屋根の覆い外して全容見せて仲三お神酒所から渡御する華美絢爛な宮神輿 |
渡御路順のお神酒所(伝統的な現地読みです) (発時間): 宮出し(7時)、
鷲宿(わしじく)神酒所(7時半)、
会組(あいぐみ)神酒所(9時)、仲組(なかぐみ)神酒所(10時半)、榎戸(いぬきど)神酒所(11時半)、
堤根(つつむね)神酒所(昼食:13時)、前通(めえどおり)神酒所(14時)、下沼(しぶぬま)神酒所(15時)、
外ヶ原(そとがわら)神酒所(16時半)、宮入(17時〜18時) |
|
|
|
花畑仲組三丁目を威勢よく渡御 |
小雨の中を花畑中北交差点へと |
|
|
花畑中北交差点から住宅街へ |
雨で煙る仲三住宅街を渡御 |
花畑は正平7年(1352)の古文書に花俣(はなまた)と記載される東京都区内屈指の古村である。
その後「花又」と表記され明治22年(1889)に花畑となる。 |
|
|
勾配浅い屋根に古式の大鳥載せ胴に錦織を巻き台座4尺2寸の華美絢爛神輿が小雨の中を渡御 |
何時もご指導いただく酔狂さんのご説明によれば、屋根に載る大鳥は鳳凰ではなくて、
鷲だとか。尾びれは確かに神話の鳳凰でなく鳥の尾です。 |
|
|
|
引継ぎ場所へと興奮で熱気の担ぎ手達 |
次ぎの仲四町会へと担ぎ手交代の木 |
平成20年(2008)に9町会の氏子1300名による氏子会が発足して、
今回の大祭からは渡御実行委員会に替わり氏子会の運営となった。 |
|
酉の市とは、応永年間(1394〜1428)より
日本武尊(やまとたけるのみこと)の命日とされる11月酉の日に報恩感謝の祭りが行われるようになり、
門前市となり、農耕具などが売られ「とのまち」「とりのまち」と名前がつき、
後の「酉の市」で「おとりさま」とよばれ親しまれるようになった。
安永五年(1776)に賭博を禁じられてから参詣人が少くなり、神社の出張所を浅草吉原の裏へ出したところ、
場所柄大繁目で本家をしのぐ程になった。
それが現在の浅草の鷲在院長国寺に祀ってある鷲神社の酉の市である。 |
|
|