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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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三崎稲荷神社 三崎祭 平成20年5月 (隔年) |
神輿データ: 祭神:宇迦之御魂命 台座:3尺8寸(115) 建造年度:昭和4年(1929)
製作者:神田・宮惣 延軒屋根・平屋台造りの細かな細工の桟唐戸 平成8年に改修
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お洒落三崎稲荷 |
二本稲穂の社紋半纏 |
小さな社殿ですが朱色も艶やか |
三崎稲荷神社の朱塗り鳥居 |
三崎神社例大祭。平成20年5月5日。二年ぶりの三崎稲荷のお祭りです。
JR水道橋駅直近の南側に鎮座して、境内は広くはないが、
中央線や総武線の高架から社を守るようにビルが建ちその一階が社務所、二階が神楽殿で、
南側の新緑の中に朱塗りの社が艶やかです。
千代田区三崎町2-9-12。
三崎稲荷神社の創建は詳かではないが建久(建久3年鎌倉幕府開かれる)
以前の仁安(1166〜1169)の頃とも伝えられる。
当時の神田山(現・駿河台)の武蔵国豊島郡三崎村(現・本郷一丁目)に鎮守の社として祀られたとされ、
明治38年現在地に遷座される。 |
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三崎町という町名になったのは明治5年(1872)ですが、
江戸に幕府が開かれる慶長8年(1603)前、この地にあった三崎村が町名の由来です。
江戸が開発され町人地が不足したため遠浅が埋め立てられるまで、
現在の大手町から日比谷や新橋周辺には日比谷入江と言われる遠浅の海が広がっていた。
三崎村は日比谷入江に突き出した「ミサキ(岬)」だったためにこの名が付いたといわれる。 |
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三崎神社通りに渡御の準備整う |
供え物も出されて発輿式まじか |
厳かに発輿式が執り行なわれる |
三崎稲荷神社の宮神輿は三尺八寸の台輪、平屋台延べ屋根、 神田・
宮惣が昭和4年に建造の宮神輿で平成8年に69年ぶりに改修された格調ある神輿です。 |
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とび親方による木遣歌が社に響く |
氏子青年会に担がれ熱き宮出し |
引渡し位置に着け宮出しに木が |
8時の発輿式を終えての宮出しは木遣歌の独唱と大勢の斉唱で始まり、藍色地に丸い稲穂の神社の紋を赤で染め抜かれた三崎稲荷神社の半纏を纏った氏子青年会だけしか担げない。
午前8時の宮出しに宮神輿は勢い良く朱塗り鳥居をくぐり、
幾度も神輿揉みを繰り返し神社通りは早朝から熱気の渦です。
渡御は氏子町内を神輿行列を作り練歩き、
一番激しく神輿を揉みながらの氏子青年会だけでの宮入の16時50分まで続く。 |
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引き受け一番手は神田三崎町会 |
氏子町会の路地中に入り込もうとする |
お神酒所での差し切りで挨拶 |
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北神町会は鼻に白べに付けて |
お神酒所で渡御の差し切りご挨拶 |
渋滞の靖国通りの後には靖国神社 |
北側に鎮座する三崎稲荷神社に少しでも近かずこうと神保町は地名には無い北を付けて北神町会と表している。
また稲荷にご奉仕の白キツネに真似て神を担ぐ氏子達は鼻に白べにを付けて担ぐ。
まさしく北神町会の氏子達の心意気です。 |
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渡御し担ぎ手が氏子青年会に替わる |
割込み阻止に肩を密着し介添役補佐 |
三崎神社通りは熱気と狂喜の渦 |
宮入は藍色地に丸い稲穂印半纏と鉢巻着用の氏子青年会での神輿担ぎです。
熱気に包まれて担ぎ手達が割り込もうと鼻棒では激しいバトルです。
それでも宮神輿はじわじわりと前進します。三崎神社通りは担ぎ手も観衆も
興奮と熱狂のルツボ、狂喜しての宮入は16時50分でした。 |
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