歴史の 浪漫街道 お江戸の神輿  薬祖神の五條天神社 三年ぶりの千貫神輿の渡御は古式に則った祭礼行列
伝承と伝統の民族文化遺産


祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿


    五條天神社 平成20年5月 (3年毎)

神輿データ: 祭神:大己貴命 台座:三尺八寸(115) 建造年度:昭和5年 (1930)
製作者:行徳・後藤直光 黒漆塗りに大きい鳳凰 延軒屋根・四方桟唐戸・勾欄造り格調高い神輿
 

上野広小路を渡御の五条天神社。08.05.25.
雑踏の上野広小路を悠然と三年ぶりに渡御する五条天神社の千貫神輿

五條天神社シンプルなポスター。08.05.25. お囃子屋台。08.05.25.   五條天神社例大祭:08.05.25.(日曜)
   宮出し:12時〜宮入:20時。
本社大神輿は千貫神輿とも云われ、 三年おきの最終日曜に氏子町内の上野公園から上野広小路一帯を鳳輦と共に、 社旗やお祓い神職、天狗や巫女舞などの大行列となって巡幸します。
   東京都台東区上野公園4-17。

五條天神社は薬祖神としての信仰をあつめた神社で、 室町時代中期には上野山に鎮座していることが明らかな区内でも有数の古社である。
縁起では創建は第十二代景行天皇の時代、日本武尊が東夷征伐の為、 上野忍が岡を通ったおりに、薬祖神の大神に御加護を頂いた事を感謝し、 この地に両神を祀ったのが始まりと伝承されている(約1890年前)
 

千貫神輿の貫禄十分な本社神輿。08.05.25. 上野広小路を横断して渡御。08.05.25. 魂振り繰り返し悠然と進む。08.05.25.
五條天神社の本社神輿 悠然と上野広小路氏子に担がれ 魂振り繰り返し上野広小路を南進

黒門小学校脇の黒門町会のお神酒所。08.05.25. 千貫神輿を差し上げてご挨拶です。08.05.25. 息を合わせてぶれもなく前進。08.05.25.
神輿が黒門町会のお神酒所に 指し切りの合図で差し上げ 差し上げたままぶれずに前進

赤門と黒門町会: 東京大学(元加賀藩上屋敷)の赤門は文政10年(1827年) 加賀藩主の前田齋泰に嫁いだ11代将軍徳川家斉の息女溶姫のために建てられた御守殿門です。 漆の朱塗りで、表門(黒門?)に対して赤門と呼ばれました。
本来の黒門は旧因州池田屋敷表門をさします。旧丸の内大名小路(現在の丸の内3丁目) にあった鳥取藩池田家江戸上屋敷の正門です。現在は東京国立博物館にあります。
加賀藩上屋敷の表門の(黒門?)から旧町名の黒門町がつけられたのか。 氏子町内には黒門小学校がいまでも存在しており、 この地区の氏子町会を黒門町会と称している。
 

  歴史の浪漫街道の掲示板に黒門町会についてのご指摘を頂きましたので、原文のまま掲載します。
NO.[290]  黒門小学校  投稿者: 上野在住  投稿日: 2008/11/01(Sat) 10:11 [返信]
上野の五絛天神社の関連で、黒門小学校と黒門町会のことが書かれてありますが、 上野には東黒門町会、黒門町会 (旧西黒門町会)、元黒門町会など黒門と名がつく町名が残っています。 これは今の上野公園を中心とした約36万坪が江戸時代まで徳川将軍家の祈祷 ・菩提寺で有った東叡山寛永寺であり、 寛永寺の総門の黒門に因み、黒門の名前が残っております。
当時の総門である黒門に近い町が元黒門、寛永寺への御成り街道の西側が旧西黒門(現在の黒門町会)、 東側が東黒門となっています。加賀前田家の門とは縁もゆかりもないことなので、 是非ご訂正をお願いいたします。 (上野在住の者ならば誰しもが知っている話です。)
 

辻つじでの神職による辻祓い。08.05.25. 氏子の厄除けお祓いに鳳輦が大活躍。08.05.25.   渡御行列は巡行中きめ細やかに辻つじでのお祓いと氏子町内の奉賛者への神が乗った鳳輦に、 お祓い願い受けを行います。三年に一度の渡御故なのか、 神社と氏子との強いつながりの証なのです。
行列の先頭の神職の辻祓い 渡御の鳳輦は奉賛者へのお祓い

上野一丁目界隈は江戸浪漫の甍の店舗や、大正浪漫漂わす看板建築が残る、 今だお江戸の歴史を留めています。   歴史刻んだ江戸浪漫の甍の店舗と千貫神輿。08.05.25. 大正浪漫も棟連ねて健在。08.05.25.
江戸浪漫の蔵店舗の横は西黒睦 上野一丁目界隈は大正浪漫漂う

東黒門町会の神輿。08.05.25. 上野町会お神酒所で巫女舞。08.05.25.   東黒門町会のお神酒所では土着愛なのか、土神さまへ神輿を近つけようと駐基馬を使いません。
上野町会お神酒所では、他の神社の例大祭渡御では見かけない、 有名な五條天神社の巫女舞がお神酒所分霊に奉納されています。
馬使わぬ町会神輿の東黒門 上野町会での巫女舞奉納

登録有形文化財の銭湯燕湯。08.05.25. 千貫神輿が16時営業中の銭湯に近ずく。08.05.25. 担ぎ手達の雄叫びが挙がる。08.05.25.
銭湯燕湯は祭り前の静けさ 燕湯に掛け声と千貫神輿が近ずく 東黒門町会の雄叫びが響く

上野三丁目の銭湯燕湯。昭和25年(1950)の建築で入母屋造りの下足場と、 碁盤の目のような天井など内部が細かな細工の木造建築で、 東京都下の銭湯では初めて平成20年3月に国の登録有形文化財に指定された。  

先導神職の辻祓いに感動の担ぎ手達。08.05.25. 西黒門町会の担ぎ手も一致団結です。08.05.25. 道路脇障害物を避けるように渡御。08.05.25.
五条天神社の辻祓いに驚く担ぎ手 担ぎ手の西黒門町会が北進 掛け声と共に黒門小学校に近ずく

格調高く瓔珞つけての渡御。08.05.25.   昭和5年に行徳の後藤直光にて建造された、 黒漆塗りの屋根に大きい鳳凰を載せた延軒屋根・四方桟唐戸・勾欄造りの格調高い神輿です。
担ぎ手達の神輿担ぎもすばらしく、三年後には祭り日和の中で是非会いたい神輿です。


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