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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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素盞雄神社 (天王祭) 平成20年6月 (三年毎) |
神輿データ: 祭神: 須佐之男命 台座:四尺一寸(124) 建造年度:明治10年 (1878)
製作者:行徳・浅子周慶 平屋台造りの大神輿で二天棒で担ぎ、左右に倒す神輿振り |
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素盞雄神社例大祭 (天王祭)
08.06.07.(土曜)7時〜18時お旅所(原稲荷)
08.(日曜)8時〜19時
東京都荒川区南千住6-60-1。 |
素盞雄神社。開祖となる黒珍(こくちん:修験道の開祖役小角の高弟)
平安時代延暦14年(795)創建。江戸時代享保3年(1718)類焼による両社炎上のため、
享保12年に相殿(一つの社殿)
として二柱を祀る御殿(瑞光殿:ずいこうでん)を新たに建築。
荒川区南千住・三河島(現:荒川)・町屋・
台東区三之輪の区内で最も広い氏子区域61ケ町の鎮守の社です。
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子神輿を新調披露 |
披露の三河島山車人形の稲田姫 |
祭囃子が天王祭を盛り上げ |
天王祭。六月は旧暦では夏。春と秋に稲の収穫を祈念感謝する農村型の祭禮に対して、
天王祭は京都の祇園祭と同様、
夏に流行する疫病を振り祓う都市型の祭禮と言えます。六月の宵宮祭と例大祭は、
六十一ヶ町総代を初め氏子崇敬者の参列のもと、厳粛な祭儀が斎行されます。
神輿を地面すれすれまで左右交互に倒し振り合います。大変荒々しく勇壮な祭りです。
「本祭」では、祭神のスサノオノミコトが大蛇(おろち)
から救い出し結婚したといわれる稲田姫の山車人形が飾られる。 |
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天王祭の辻つじでの四尺一寸の大神輿の豪壮な神輿振り |
神輿振り区間は二天棒内側で担ぐ |
本社大神輿。天文十年荒川洪水の折、町屋村杢右衛門が御殿野(現町屋地区)に古き神輿を得て本社に納めてより神輿渡御が行われました。
現在の神輿は明治十年千葉県市川市行徳村の浅古周慶の作。重量千貫の神輿を、四間半(8.1m)の長柄二本(二天棒)で左右に振る
「神輿振り」が有名で、神輿を納めた故事により現在に至るまで町屋の氏子が宮出しを行います。
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千住間道の神輿揃い振り会の幟 |
先導の高張り提灯の行列 |
大太鼓が本社神輿を先導 |
天王祭渡御は素盞雄神社の氏子区域である南千住三之輪地区、三河島地区、
町屋地区の若睦たちに神輿振りを繰り返し担ぎ継がれながら渡御し、
御旅所である町屋の原稲荷で泊り、翌日再び渡御しつつ素盞雄神社へと戻ります。
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神輿指揮者の合図で神輿振り |
すくい上げる様に押し返し |
振り戻されしゃがみ込み受けとる |
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国道4号線と千住間道交差点で差上げ |
数十歩前進しては神輿振り |
左右90度に6〜7回繰り返す |
神輿振り渡御は南千住三之輪、三河島、町屋地区の各区間で、
翌日の宮入道中で勇壮で荒々しく、その他の区間では渡御行列です。
天王祭は勇壮華麗な祭り一色に染まるのです。
千住間道は、道幅が広げられていますが、
かつてこの通りにパリーグのロッテの本拠地「東京スタジアム」があったのです。 |
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反動で胴受けはしゃがみ込み |
胴受けと屋根受けが倒し返す |
屋根受けと胴受けは必死です |
天王祭神輿振り:
素盞雄神社の神輿には横棒がなく、二天棒の長い縦棒だけで担ぐ。
神輿振りの合図と共に担ぎ棒の内側に入り込んだ前棒の担ぎ手は、神輿を挟んで後棒と向かい合い、
「胴受け」が台座下にて神輿を支え、「屋根受け」が倒れこんだ神輿を受ける。
片方の屋根受けと胴受けが神輿を向こう側に威勢よく押すと神輿は反対側に倒れる。
左右にこれを7〜8回繰りかえし、担ぎなおして数十歩進んでは、また勇壮で荒っぽい神輿振りを繰り返す。 |
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素盞雄神社の担ぎ手の印半纏は独特です。初夏の祭りで薄いが二天棒での神輿振りの肩保護のためにか、
ジュディ・オング「魅せられて」の舞台衣装そっくりの両腕の長い裾を交互の肩に回しています。
これでも一枚ものの半纏なのです。 |
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女神輿も負けずに差し上げ |
合図で息を合わせて神輿振り |
神輿受け台座受け入らぬとも豪快 |
女神輿(中神輿) 大神輿は、南千住三之輪・三河島・町屋の三地区の若睦選抜によって担がれる為、
女性や年少の者は担ぐことが出来ません。依って、伝統を護り次代に引き継ぐを旨として、
皇太子御成婚奉祝記念として平成七年に建造され、
若睦神輿振りの後につき、女神輿として神輿振り渡御を行う。 |
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