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伝承と伝統の民族文化遺産 |
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祭りだ!神輿だ! お江戸の神輿 |
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三ッ木八坂神社の天王祭・十二所神社末社 平成20年7月 (毎年) |
神輿データ: 祭神: 素盞鳴尊 台座:三尺五寸(107) 建造年度:明治32年 (1900)
製作者: 不明 延軒屋根・平屋台造り 鳥居等の網被せの錺が見事 |
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俺らが鎮守の夏祭りだ、皆な戻ってきたな。三ッ木八坂神社の天王祭だ。 |
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八坂神社・十二所神社末社。
例大祭: 08.07.13.(日曜)11時から
八坂神社は元文元年(1736)には、すでに例大祭が行われていた記述がある。
十二所神社の例大祭は4月8日。
東京都武蔵村山市三ツ木5-12-6。 |
早朝の鎮守の杜は静寂に包まれている |
神輿押し上げの氏子の若者達が集まる |
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十二所神社。
天神(天照大神)七代と地神五代の大神からなる12代の大神が祀られることから、
十二所神社と呼ばれる。
創建は元明天皇和銅元年のころと言われている。
十二所神社の多くは熊野三山の神を勧請したもので、
明治の神仏分離までは「十二所権現社」などと呼ばれていた。
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発輿式の社殿まで神輿の石段登り開始 |
急で狭い石段を外側からも押し上げ |
赤い提灯と花万灯が鮮やかに染める |
鳥居を潜り急な石段を登り詰めた社殿前で子供神輿3基も加わり発輿式です。
白丁の氏子青年達が宮神輿を押し上げ、社殿前に鎮座すると赤い高張り提灯、
両脇に花万灯、子供神輿に花を飾ると、一気に祭り雰囲気に包まれる。 |
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静寂の中で祝詞だけが響き渡る発輿式 |
渡御のため石段を囃子方従え降りてくる |
鳥居下潜り参道へ神輿が降りてきました |
発輿式は十二所神社からの宮司により10時半から静寂の中、朝日差す社殿前広場で厳かに執り行われる。
発輿式終えて全員が帯や鉢巻に挟む飾り御幣を頂き、お神酒で渡御の無事願って乾杯です。
いよいよ三ッ木村落の八坂神社の天王祭ですが、荒々しき祭神素盞鳴尊の天王祭ではなく、長閑に神輿を担ぐのです。
担ぎ手は白丁の40名、囃子方は20名、役員や交通整理係り含めて総勢120名での祭礼行列です。 |
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氏子区域の旧青梅街道を渡御 |
氏子担ぎ手だけで激しい魂振りは無い |
宮神輿の後に付く三ツ木祇園囃子 |
宮神輿は台座が3尺5寸(107)明治32年作の延軒屋根、平屋台造り、製作者は浅草・宮本重義。
補修が行き届いた神輿で、白丁で身を固めた担ぎ手達に担がれて、三ツ木の5町内を渡御する。 |
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三ツ木祇園囃子。 (武蔵村山市の無形文化財に指定されている)
八坂神社では山車は持たず、居囃子と三ツ木祇園囃子が祭りを盛り上げる。
八坂神社に奉納される音曲で、鳴り物には笛と大鼓のみが使われる。この祇園囃子は
比留間幸次郎が明治25年ごろ浅草から師匠を招き伝授された。 |
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岸 須賀神社 平成20年7月 (毎年) |
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岸 須賀神社。 例大祭。08.07.13.(日曜)
三ツ木八坂神社から殿ヶ谷須賀神社への旧青梅街道沿いで、移動中に出会った岸の宮神輿渡御行列です。
この神社の例大祭も氏子だけでの素朴な渡御です。
東京都武蔵村山市岸2-24-3。
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ひょっとこの愛らしい仕種・所作です |
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岸須賀神社の宮神輿は背高神輿 |
後方に太鼓と山車を引きつれ渡御。 |
山車の主役はひょっとこと氏子の子供達 |
武蔵村山市の地名 「村山」という地名の起こりは、狭山丘陵の峰々を指した「群山(むれやま)」
が訛って「村山」になったといわれている。
平安時代末期に登場した武蔵七党のひとつ、
村山党は狭山丘陵の生産力を背景にこの地に根を張った武士団で、大正時代各村合併の折、
この村山党の名にちなみ、
「村山村」と命名した。市制施行の際、山形県に同名の市があったため、
「武蔵」を冠して「武蔵村山市」とした。 |
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